【敗者の告白】もう1人の敗者とその告白

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深木章子の『敗者の告白』を読んだ。

書式が独特で、書簡式小説と対話体小説の2つから成っている。

私は対話体小説は恩田陸の『Q&A』で、書簡式小説は森見登美彦の『恋文の技術』で読んだことがある。

 

『敗者の告白』を読み終えた時、ふーっと深いため息が出てしまうぐらい面白く読み応えのある作品だと思った。

 

思っ【た】のである。過去形なのだ。

感想文を綴るにあたって、当然、小説を振り返るのだけど、考えれば考えるほど登場人物たちの心理が理解できなくなっていった。

 

以下ネタバレ。

 

★★★★

『Xの独白』で今回の犯行における動機は”復讐心”からであったとXは自白している。

 

小説を読んだ人なら分かると思うのだけれど、このXという人間はすこぶる賢い。私情に流されない客観的なものの見方が出来る人物である。

 

殺意の誕生は娘の葬式にて。

Xは妻と自分の友人の不倫を知る。そして、長男が不倫相手との子だと知ってしまう。

私は、それまでもその後も、瑞香のこんな姿を見たことがありません。(中略)私に、朋樹をこの世から抹殺することを決意させたものは、瑞香のあの表情だったのかもしれません。(P377)

この時に友人・瑞香への復讐と朋樹の殺人を決意する。

 

瑞香に他にも浮気相手がいたこと、それによって娘が死んでしまったことで、その決意は濃くなっていく。

 

私は、Xは『友人と妻の不倫関係が長男が生まれてから葬式までの8年間続いている』のだと勘違いしたのだと思った。だから”こんなにも長い年月ずっと裏切られてた”という勘違いにとてつもなく憎悪が沸いたのだと。

 

だけど、復讐のために念入りな敵情視察をしたXなら、2人の関係はとっくに終わっていて、どんどん発覚する男関係からどうやら妻側に非がありそうだ、と気付くはずなのだ。すると不倫相手への憎しみは少しは減るものではないのだろうか。

 

それでも妻の不倫相手への憎しみが消えない人もいるだろう。

しかしXは『Xの独白』の冒頭でこのように綴っているのだ。

妻の放恣な男性遍歴を知ったいまでも、私は、彼女が私以外の男を愛していたとは思いません。(P373)

 

じゃあ、お葬式で「妻のこんな表情を私は見たことがないのに」ってわいた殺意は何だったんだ。

 

Xは何に恨みを持って復讐しようというのだろうか。

ほんの少し読み進めるとこのような独白も出てくる。

瑞香が浮気していたこと、そしてその長電話のせいで娘が溺死したことを知った私は、もはや彼女を殺すことになんの呵責も感じませんでした。私の中では、瑞香はもはや死んだも同然の存在になったのです。(P381・一部変更)

 

言っていることがあっちに行ったりこっちに行ったり。

 

冒頭でも述べたんだけどXはすごい賢い人間である。犯行のシナリオもカンペキだし、息子を殺すシーンの独白だってすごく理路整然と、自分は無関係な人間ですとでも聞こえてきそうなぐらい淡々と綴っている。それぐらい理性的な人間なのだ。

 

それなのに肝心の復讐心の発生源は曖昧だし、妻に対しては『惚れていた』と言ってみたり、『クソ女』みたいな印象を抱いている表現があったり、ブレブレ。Xは冷徹な人物なので、感情がコロコロ変わるのは”らしくない”と思った。

 

作者の伝えたいことは別にある

どうしてこのようなことが起きてしまうかと言うと、作者が伝えたいのは『犯行』に関してではないからだ。

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日本の裁判の在り方についての熱心な言及が小説内にある。

無罪を主張する弁護士は被告人が無罪だと本当に信じているのだろうか、とか。

 

あと日本の裁判では1度無罪判決を受けると、後に有力な証拠が出てきたり、元被告が自白をしたとしても無罪は覆らないという原則がある。(参考:無罪確定後に犯行を自白しても「無罪のまま」…なぜ?

 

作者は現在の日本の司法の闇を提示したかったのではないだろうか。プロフィールによると30年以上弁護士として活躍されたそうなので、現職中に思うことがあったのかもしれない。

 

つまるところ、司法の闇が書きたい⇒事件シナリオを考える、という流れだったために、Xの犯行動機がお粗末なものになってしまったのだと推測する。

 

事件の組み立ては面白いので、そこがすごく残念だった。

★★★

この小説は『敗者の告白』というタイトルで、読み終えた人は「あ~、あの人が敗者だったのだな」という結末にたどり着いているだろうが、私はもう1人『敗者』が存在すると思っている。

 

それはXの弁護人だった『睦木怜』である。

今回の裁判において、私が無罪判決を得るためにベストを尽くしたことは紛れもない事実です。しかし、それがあなたの無実を百パーセント確信したからなのかと訊かれれば、そうだといいきる自信はありません。(P317)

 

裁判の勝敗はどうあれ、Xの弁護人でありながらXの無罪を信じ切ることができなかった彼女もまた正義の弁護士としては『敗者』なのだと私は思う。

 

もしかすると、『睦木怜』はいつぞやの深木章子さん(作者)なのかもしれない。

 

そんな彼女(睦木怜)の”敗者の告白”が『Xにまつわるひとつの推論』だとは考えられないだろうか。

 

『試合に勝って勝負に負ける』という言い回しがある。

Xも弁護士も裁判という試合は勝利したが、人生や信念、全てをトータルした勝負では負けたのだ。私はそう思う。

 

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