【その日東京駅五時二十五分発】(著:西川美和)

 

【その日東京駅五時二十五分発】(著:西川美和)を読了。

 

これは戦争の話。ぼくにも徴兵命令が下された。が、体の小さなぼくは徴兵検査に受からず、最前線ではない仕事に就くことになる。回されたのは加工場での仕事。その仕事に慣れた頃の辞令で、次は通信兵として尽くすことになる。そうしたうちに戦争が終わり、ぼくは東京駅を五時二十五分に発つ電車で故郷に帰ってきた。何もなくなった故郷・広島に。

 

あとがきに書かれていたのだけど、この作品は作者の伯父の手記を元にしていて、全てがノンフィクションというわけではないだろうけれど、ベースにあるものは事実であるようだ。

 

戦争を題材した作品でノンフィクション、つまり実際にあったことや人物を軸として作られた作品は割と多いし、私も読んだことがある。『月光の夏』(著:毛利恒之)という作品もそうだったはずだ。

 

ノンフィクションが元になっている作品を読むと私たちが学んできた“戦争”が広がる。

『月光の夏』では振武寮といって、怖気づいたり、エンジントラブル等で特攻できなかった者たちを隠匿する場所が描かれていて、戦争の異常さをそれまでより深く感じたし、今回読んだ『その日東京駅五時二十五分発』ではいち兵士でありながら前線に縁が無く、上司も人が良い場所に配属された“ぼく”の存在が描かれていて、これも私の思い描く戦争とは少し違う気がした。

 

戦争、兵士と耳にしてイメージするのは厳しい上下関係や常に気を張っている姿、懲罰、であって、そういうシーンが描かれている作品は沢山あるし、そういう事実が多くあったことは間違いないのだろうけど、人対人なわけだから、ドラマで観るような対人関係ばかりではなく、この“ぼく”のようにコミュニケーションが取れるというか朗らかな関係もそりゃあったんだろうなあと、冷静になってみると思えてくる。

 

戦地に行った家族を待つ立場の人たちだって、表では「日本バンザイ」と言い裏でシクシク泣くみたいなシーンが多いけれど、与謝野晶子みたいに戦地に行く弟に対して「人を殺せと教えたことはない」みたいなことを言った人もいるわけだし。戦争を仕方のないものとして受け入れていた人だけが存在していたのではない。だけど戦争反対の声を挙げた人の姿はいまいち想像できなくて、自分が持っている戦争の知識がすごくすごく狭いことに改めて気が付かされる。

 

作品自体は正直、そんなに面白くない。だけど実際に戦争を経験された人から聞いたノンフィクションだと知ると「面白くない」と言ってしまうのが申し訳ない気がして。何か別の形で見たかったなあと思う。

 

戦争を経験した方がどんどん亡くなっていて、経験を語れる人が少なくなっているのが問題になっている。当時の人たちにはツラい事も、もしかしたら良い事も、それぞれの戦争体験があっただろうに、戦争とは、と耳にして皆が1つの同じイメージしか浮かばなくなるのは気味が悪いことなのかもしれない。

 

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