どうやら私、角田光代さんの小説を読むのは初めてみたい。(エッセイはある)
作品を読んだことがないのに、何故か読んだ気がしている作家NO.1が彼女である。『八日目の蝉』や『紙の月』などアイドルのプロモーションに利用されていない原作ファーストっぽい映像作品が多いからかな、勝手に読んだ気になっていた。
そんなわけで私の中でサスペンス作家の印象が強い角田光代さんだけども、【ぼくとネモ号と彼女たち】を読んでこういった純文学ちっくな作品も書かれていたのだなあと知った。
自分より下に見ている人(春香)にどれだけヨイショされても気に入らないことや、良いなと思った女性(トモコ)にどれだけ自分を大きく見せても興味を持たれなくて「どうすりゃ良いんだよ…」って心許(こころもと)ない様子は若者の青臭さが存分に出ていたと思う。
2人の女性が降りた後、3人目に乗せた女は、自分”に”好意を持った女性でもなく、自分”が”好意を持った女性でもなかった。媚を売るでもなく、自分を大きく見せるでもない女性のフラットな態度に、”ぼく”も背伸びしない姿がついつい出てしまう。
だけど、どうしてか、自分を大きく見せようとしていた時よりも心が満たされていく気がして、3人目の女性にメロメロになる”ぼく”。青いなあー。
女と別れた”ぼく”は、今どこにいて、どうしてココに辿り着いて、こんなことがあってあんなことが起きて…って話を誰かにしたくてしたくて堪らなくなる。
そのシーンは、それまでの「(カッコいい自分の話を)聞いてくれ!」って”ぼく”と比べて、体の真ん中からグワーッと熱がせり上がってくる感じがあって、やっと虚無感から抜け出せたのだなあと思った。良かった良かった。
自分は凡人だと薄々気が付いていながら、まだ何者かになることも諦めきれない10代後半~20代前半の自意識過剰な感じが思い出されて、個人的にはちょっとしょっぱい小説だった。
若さ特有の虚無感から少し抜け出せた”ぼく”は愛車ネオ号に乗って今後も目的のないドライブに出かけるのだろうけど、今後のドライブは『何かドラマを起こさなきゃ』と力んだものではなく、『何かドラマが起きないだろうか』ぐらいの肩の力を抜いた、彼にとっても心地の良い時間になるのだと思う。
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