【太陽のパスタ、豆のスープ】(著:宮下奈都)を読了。
宮下奈都さんの作品を読むのは初めて。文庫本の裏表紙のあらすじを読んで、鬱々しい今の雰囲気に爽やかな風を吹かしてくれるかもしれない、と手に取った。
やりたいことリストって数年前にネット界隈ですごく流行っていた記憶がある。
私は自分の人生を操っているのは世間体なんじゃないかと思うことがある。世間体という自動操縦にハンドルも握らずただ座っているだけ。
人生本なんかを読んでいると、『世間体は幸せの邪魔になる』と述べられていることがまあ多い。
『”自分が”やりたいこと』という主語を自分に置くことで、自分の人生の操縦者が世間体から自分に戻ってきて実感する”自分の人生を生きている感じ”が当時ウケたのかなと思う。
ちょうど同級生たちの結婚の波が来ていた、一生自分で稼いでいく自信がなかった、そして譲さんはやさしかった、依存してしまえば楽だと思った。つまり自分の人生を自分で引き受ける気概がなかった。(P61)
世間体に従って生きるのはある種、楽だと思う。自分で選択しなくて良いからだ。でもその一方で、一生他者との比較から抜け出せないから、ツラくもあると私は思う。
小説【パリに行ったことがないの】(著:山内マリコ)を読んだ時にこんな感想を残している。
記事:【パリに行ったことないの】日本に生き辛さを感じるジャポネーズ
私のこれまでの様々な選択は”自分の力で生きていこう”という意思がちょっとでもあっただろうか、いずれ誰かに頼れば良いやと甘えがあったんじゃないのか、と思った。
山内マリコさんは自身のことを”小舟”に例えていて、「経済的にも精神的にも不安でちょっとした波にも攫われてしまうような手漕ぎの小舟に乗っていた時は、男性が操縦するクルーザーに乗り込む女性(=結婚)が羨ましいと思っていた。」
「だけど、耐えて良かった。精神的にも経済的にも成長できたから、相手に”乗せてもらう”のではなくドッキングという形で一緒になれた」と語られている。
記事:結婚の重圧 山内マリコさんは「小舟」に耐えた20代の自分をほめる
【太陽のパスタ、豆のスープ】を読んだ時、私は山内マリコさんのほかに壇蜜さんの結婚理由も思い出していた。
「私にとって“ちゃんと生きられる”の意味は、経済的・精神的に自立して生きられるということです。ひとりで生きられないから結婚するのではなく、自分ひとりでも生きられる自信がついたから誰かと一緒にいられるようになった」
壇蜜さんの言うように”誰かを頼れることも才能”なのだと思う。
だけど私は、【太陽のパスタ、豆のスープ】の明日羽のように、山内マリコさんのように、壇蜜さんのように、自分の人生の操縦ハンドルは自分で握りたいと思ったのだ。
そしてパートナーだけでなく、友人・同僚…多くの人と、船に乗り込ませて”もらう”のではなく、ドッキングという形で一緒に時間を過ごせれば良いなと思う。
価格:660円 |