断捨離をして気が付いたことは、実は思っている以上に自分は物を持っているということと、思っている以上に少ない物で生きていけるということだった。
流行や世間の目に合致しようと、必要のない物、身分不相応な物にずいぶんとお金を使ってきたのだなあと愕然とした。
マイホームのローン完済、恥ずかしくない生活レベル、見栄っ張りな妻の被服費、働いて働いて働いてキョウコの父親は余生という人生のボーナストラックを楽しむことなく亡くなってしまう。
世間体を捨てて自分に目を向け始めたキョウコと「あなた、海外出張に行っていることになっているから(無職だなんて恥ずかしい)」と娘の事さえも世間のモノサシでしか見られない世間体が何よりも大事な母親。
どちらが健やかな生き方かなんて言うまでもないけれど、きっと誰だってキョウコの母親が心の中に棲みついている。
他人からの評価なんて全く気にならない、なんて心の底から言い切れる人は日本にはとても少ないんじゃないだろうか。
しかしながら、平均以上を求めるあまり私たちは自分の本当の欲求を見失ってしまって、いつまでも「満たされない」「幸せじゃない」と嘆くのだ。
世間体は幸せにしてくれないと至る所で言われているのに本当、私ってば学ばない。
キョウコのことが羨ましいなと思うのは、キョウコが世間体から逃れることができているからだけではない。
安アパート、節約、無職…と何とも溜め息が漏れてしまいそうな環境にありながら、しみったれた感じがしないのだ。
美味しいコーヒーをゆっくり楽しんだり、物々交換で欲しい物を手に入れてみたり、お花を愛でてみたり。安アパートゆえ夏の暑さ、冬の寒さはご愛嬌という感じだけれど、穏やかで愛おしい日々を過ごしていることが伝わってくる。
姪っ子がアパートに遊びに来て発したこのセリフ。
なんだかいいね、ここ。息ができる感じがする。体が楽っていうか(P253)
すごくすごく分かる。
キョウコのように仕事を辞めたいと思わないし、そもそも貯金生活でやっていける蓄えもないのだけど、スピードダウンして過ごしたいなと思う時ってある。
生きているより、1日をこなしているという感じ。義務感。これじゃ息も詰まる。
まずは紅茶をゆっくり味わうこと、外に出たら季節を探してみることから始めてみようと思う。遅れてたまるか、落ちてたまるか、と歯を食いしばっている日常に深呼吸をして力を抜く時間を作ろう。
そしてお金の使い方も見栄や世間体から自分が幸せになるためにと変えていきたい。せっかく一生懸命稼いでいるのだから自分のために使ったって良いはずだ。
お金があったら1番何がしたいだろう、と考えてみたのだけれど思い付いたことは『猫が飼いたい』ということだけだった。今すぐにでも出来ることをこんなに遠回りして過ごしてきたのだなあ。
キョウコが憧れた森茉莉の『貧乏贅沢』も読んでみたいと思った。森鴎外の娘で元お嬢様。
矢部太郎の『大家さんと僕 』を読んでお嬢様って生活レベルが変わっても気品が失われないものなんだなって思っていたところ。『貧にして楽しむ』そんな生活がきっと綴られている本なのだろう。
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