【殺人出産】己の倫理観がバチバチに試される

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【殺人出産】(著:村田沙耶香)を読了。

4編の短編からなるこの1冊。4つのどの作品も、その評価は個人の倫理観にかなり左右されると思う。

 

多様性や個人の自由はどこまで許容されるべきか、許容できるか、を常に考えているとこういう作品が生み出される感性が育つのだろうか。ゾワゾワした。

 

『殺人出産』『トリプル』『清潔な結婚』『余命』のワタクシ個人の評価は好き・嫌い・嫌い・好き。好き嫌いというか受けいれられるか受け入れられないかという方が近い感情のような気もするけれど。

 

4つの短編の中から、表題作である【殺人出産】の感想を残しておく。

時は流れ、子どもは人工授精で産むことが一般的となった。

身体が子どもが産めるようになった瞬間、避妊処理をするのが当たり前になり、偶発的な出産がなくなったことで人口はみるみる減っていった。

そこで新たに生まれたのが”10人出産すれば1人殺しても良い”という制度だった。

これは女性だけが使える制度ではない。男性も人工子宮を埋め込み、10人出産すれば、誰でも1人を殺してよい権利を得られる。

 

ザッと物語の大まかな内容を語ると「いやいや、ナシでしょ」と思うのだけど、読み進めていくと「あれ?アリかもしれない」と”私は”思う部分があったりした。

 

リアルでは出産って神聖な存在であるけれど、10人産めば1人殺してよいという制度もそうだし、極悪非道の罪を犯すと命を生み続ける『産刑』なんてものもあったりして、作中の世界で出産は”罰”や”避けたいもの”という位置付けになっているのが印象的だ。

 

禁断の果実を食べたことで楽園から追い出されたアダムとイヴの話(聖書)はすごく有名だけれど、神様は彼らに追放以外の罰を与えている。アダムは死ぬまで働くこと、イヴは出産をすること(産み続けることだったかも)。

 

多くの人が”志”とする作品(聖書を作品と呼んで良いかは疑問だけど)に出産は”苦痛”という描かれ方をしているということは、100%とは言わずとも出産は苦痛である大きな一面を持っているんだろうと思う。

 

この作品は、「社会の当たり前が本当に正しいのか?」「正しいことだと思わされていないか」ってことを警告しているのだと思うのだけど、現代にこびり付いた【出産=神聖なこと】ってイメージも子供を産みたくなるように洗脳されているのかなあ…と思ったりした。

 

【殺人出産】の世界でこれは困っちゃうな~と思ったことは、『死』が思わぬ方向からやってくることだ。

同僚からのメールによれば、チカちゃんを殺した「産み人」は、チカちゃんの父親の元婚約者だという。二股をかけたあげく婚約破棄をして、お腹に赤ちゃんができた女性と結婚したチカちゃんのお父さんは酷く恨まれ、その憎悪はお腹の赤ん坊へと向かった。それがチカちゃんだったのだ。(P54)

 

主人公が「いざとなったら殺せる」と思えば大抵の理不尽も大したことじゃないように思えた、ってシーンがあったり、こういう制度があればみんな各々が誰かの恨みを買わないように優しくなるんじゃないかと私は思ったりして、そんな悪い制度じゃないんじゃないかと感じながら読んでいたのだけど、近しい人が買った恨みを自分になすられるのは嫌だなあ。

 

でもって、『死人』に選ばれた人は、10の新しい命の代わりだから「死んでくれてありがとう」って褒めたたえながらこの世を去る。この部分も現代人の私からすると、戦時中の赤紙を貰ったら「おめでとうございます」と祝福されるみたいな、そんな気味悪さがあった。

 

でも当時だって、もちろん「何がおめでたいんだ!」と思っていた人もいただろうけど、本気で祝福していた人だってきっといたんだもんね。

 

善悪や倫理観って社会が操っているんだなってつくづく思う。

 

今当たり前だって思っている倫理観は世代が変われば、それこそ20年くらいでコロリと180度変わってしまうこともあるのかもしれない。

 

だって、現に日本は自殺者が多く、出産が減っている国だ。

この状況を打破するために、国はどんなご褒美や罰を用意するのだろう。今でこそ未成年の妊娠は良しとされていないが、初潮が訪れた人からバンバン産むのが素晴らしい・価値があると謳う将来がくるのかもしれない。

 

遠くない未来に、無限に存在するパラレルワールドの1つが【殺人出産】の世界なのだと思った。

 

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