【雪冤】(著:大門剛明)

 

【雪冤】(著:大門剛明)を読み終わり。

冤罪で死刑囚となり執行が迫る息子を救うために、冤罪の証明に尽力する父親が主人公。

 

冤罪による死刑が大きなテーマとなっていて、読者である私たちに死刑の是非を問う内容になっている。この作品はもちろんフィクションだけれども、イギリスでは死刑執行の後に真犯人が現れる、つまり冤罪による死刑執行が起きてしまい、これまでもこんな悲劇が起こっていたのではないか、これからも起きるのではないか、という考えから死刑廃止になったそうだ。日本でも四半世紀以上の時間が経って再審になる事件もあったりして、他人事じゃないなと思う。

 

遺族が死刑制度を認めたがるのは分かるし、死刑囚の家族が死刑制度の廃止を望むのも分かる。じゃあ当事者じゃない私たちはどうあることが正しいのだろう。この小説では国民のひとりひとりが人(死刑囚)を殺すのだという意識を持つべきだと書かれていた。

 

ねほりんぱほりん』というNHKの番組で死刑執行人が取り上げられていたのを観たことがある。死刑執行は執行官3人で一斉にスイッチを押して床を抜くことで、誰のスイッチがそれだったか分からないようになっているそうだけれども、取材を受けていた中のひとりが「自分が殺したんだという意識がある」と語っていたことを思い出した。

 

よく死刑は報復の連鎖を防ぐために国家が代わって執行するといいますがこれは間違いです。民主主義国家において国家とは国民です。死刑は国民が国民を殺すのです。(P39)

 

こう言われてしまうと死刑制度を推す勇気はない。だけど長期求刑に対しては「税金の無駄遣いだ」という声もあったりして、難しい問題だと思う。

 

死刑になるかどうかほどの行為だと被害者が死んでいるというのも難しさを助長している気がする。例えば被害者が「私が安心して暮らせるように死刑を求刑します」と言えば、それが1番納得感があるからだ。

遺族だって被害者じゃないかという意見もあると思うが、同じ行為なのに被害者の家族の有無で刑の重さが変わるのも変だと個人的には思うから、被害“当事”者に対してどのような犯行や意識を持っていたかというのが刑罰の重さを決める上で重要なんじゃないかと私は思う。

 

『この小説に99%は騙される』とアピールされている事件の真相や真犯人は誰なのか、というミステリー部分には正直それほど魅かれなかったのだけど、登場人物たちを通して様々な立場から死刑制度を見てみる経験というのは考えることが沢山あって、すごく深くて、今まで死刑制度について何にも思ってこなかった事が不思議なくらいだった。

 

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