数年前にテレビCMを観たことがあるので映画化していることは知っているけれど、観たことはなし。
『職業に貴賤なし』というほど崇高な考えを持っているわけじゃないんだけど、私は友人・知人がフリーターだろうが、夜職だろうが、ラブホ社員だろうが、あんまり興味がない。
だから『納棺師』という職業はそれほど嫌がられる仕事なのだろうか?とまずそこがピンとこなかった。
死者に触れるという点では、死体解剖医もそうだし、看護師だってそういうことがあるだろう。死刑執行人も当てはまるのかな。
嫌悪どころか、人はいずれ必ず死ぬのだから、こうやって綺麗にしてあの世へ送り出してくれる納棺師という仕事に感謝はあっても、差別的な感情は浮かんでこない。
私は「自分の死後はどうでも良いよ。墓もいらん。適当に焼いてくれや」って考えの人間だけど、もし自分の大事な人がそんな考えだったら少し悲しい。ちゃんとしてあげたいのに…って思う。
そういう意味では、納棺師という仕事は遺された人がちゃんとお別れができるように存在する、死者のためというよりはむしろ生者のためにある仕事なのではないだろうか。
『人は与えたものが返ってきます』なんて人生語録があるけれど、有形でも無形でもどれほど人に与えてきたかは死に際や死後に分かるものなのかもしれないと思った。
棺にも色んな種類(価格帯)のものがあるのだと主人公が気が付くこのシーン。
「棺にもいろいろあるでしょう。右から五万、十万、一番左が三十万」
「何がそんなに違うんですか?」
「右のは合板で、次が総檜の窓付き。高いのには彫刻が入っているでしょう?」
「素材と飾りの違いだけですか?」
「そう。燃え方もおんなじ。灰もおんなじ。人生最後の買い物は、他人が決めるのよ」(P63)
『もう死んだんだからどれでも良いでしょ』と思われるか、『最後だから良いものを』と思ってもらえるか、この瞬間に他人とどう関わってきたかのジャッジが下される気がした。
「もっとマシな仕事に就けよ」と吐き捨てるように言った友人。「触らないで!けがらわしい!」と拒絶した妻。
主人公の妻も友人も、自分の親しい人が納棺される様を見てやっとこの仕事の尊さに気が付くなんて、なんて想像力のない人たちなんだろうと溜め息が出る。
さらに時は過ぎ、主人公が自身の大事な人を納棺する時に妻が汗をぬぐってくれるシーンがあるのだけど、神聖な行為をしている最中なのだから触らんでくれ!と思ってしまった。
私が読み取れなかった行間に、互いの理解や尊敬や親愛の回復があったのかもしれないけれど、私の中では妻の仕事に対する理解は仕事の最中に手を出してよいほど深くなっていない。
そういう意味では、主人公もその妻も心理的な葛藤やそれを乗り越えていく描写があまりにも足りなくて、いち読書としてはグッと感情移入しきれない物足りなさがあった。
映画版の評価がすごく良いので、時間を作って観てみようと思う。そちらで文章で取りこぼしてしまったことを改めて感じられたら嬉しい。
価格:4,180円 |