【羊と鋼の森】最初は、意志。最後も、意志。才能がなくたって生きていく

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羊と鋼の森】(著:宮下奈都)を読了。

 

高校生の時、偶然ピアノの調律に魅せられた外村は、調律師を志し、調律師として就職することろまで漕ぎつけた。

 

 調律師の仕事は単に狂った音を整えるだけではない。お客(依頼人)が「綺麗な音」「優しい音」「クッキリした音」を求めれば、その人がイメージする音を探って調律する。これが家庭のピアノからコンサートホールのそれになると、本人の希望に加え観客にそんな風に音が届くように、という感性も必要になってくる。

一見ピアノに対する仕事のようで実は向き合っているのはピアノの先にいる人。だからこそ”どんな人物”が調律するのかに左右される仕事だと初めて知った。なので、キャラクターの人となりが重要だと私は思うのだけど、そんな中で外村(主人公)の内面の描写にいくつか魅かれる文章があった。

 

今こうして考えながら思い出すのは、風の通る緑の原で羊たちがのんびりと草を食んでいる風景だ。いい羊がいい音をつくる。それを僕は、豊かだと感じる。同じ時代の同じ国に暮らしていても、豊かさといえば高層ビルが聳え立つ景色を思い浮かべる人も、きっといるのだろう。(P75)

 

道は険しい。先が長くて、自分が何をかんばればいいのかさえ見えない。最初は、意志。最後も、意志。間にあるのががんばりたいだったり、努力だったり、がんばりでも努力でもない何かだったりするのか。(P212)

 

自分に才能があるとは思えない。幼いころに楽器に慣れ親しんだり、クラシックを聴くような環境じゃなかった。主人公の外村がそんな様々な”持っていない”を悩み、受け入れて進んでいく様は、私の目標でもあって希望でもある。そういう意味で今の私にすごくマッチした作品だったように思う。

 

才能があるから生きていくんじゃない。そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。(P246)

特にこの心的描写が好きだった。

 

ピアノの調律が題材だから音の描写やら色々と感想を残したいことがあるのだけど、私の少ない語彙力では何回考えても上手く文章にできないので、今回は感想を諦める。

某バラエティ番組で俳句の先生が「良い俳句にはニオイや音の描写がある」と言っていた意味が少し分かる気がした。

 

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