【銀河鉄道の夜】には宮沢賢治の理想がそこかしこに現る

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銀河鉄道の夜】(著:宮沢賢治)を読了。

ちょっとくらい誰もが名前を知っている名作を読んでおきたくて手に取る。【銀河鉄道の夜】と言うと児童文学のイメージを強く持っていたのだけど、これを小中学生が読むのはちょっと難しくないか?…というか大人の私もイマイチ理解できた気がしないのだが、というのが読み終わって真っ先に抱いた感想。難しい。

 

いじめられっ子のジョバンニは気が付くと列車の中にいた。その列車の中には親友のカムパネルラが居て…

 

がっつりネタバレをするけれど、この列車は死者が乗る列車で、カムパネルラはジョバンニを虐めていた子を助けようとして川に飛び込んで死んでしまったことが終盤で分かる。ジョバンニはカムパネルラが死んだとは気が付いておらず話が進んでいく。

 

銀河鉄道の夜】は何度も加筆・削除・編集をされているのだけど、私の読んだ本ではジョバンニは偶然乗り込んでしまった設定(現実世界では死んでいない)。博士の実験に巻き込まれてこの列車に乗ることになった、という設定の時代もあったらしい。

 

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」

「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だからおっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」(P176-177 一部改変 カムパネルラの台詞)

 

「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」(P216 ジョバンニの台詞)

 

宮沢賢治と言うと『雨ニモマケズ』という詩が有名だけど、この詩は「努力が認められず、正当な評価が得られず、不当な扱いを受けたとしても、恥ずかしくない生き方をしたい」という意味らしく、上のカムパネルラとジョバンニの台詞には宮沢賢治の理想が現れているんじゃないかと思う。個人的には自己犠牲が過ぎないか?とも思うのだけど。

 

現実の世界に戻ってきて、カムパネルラは死んだのだと気が付いたジョバンニ。

ジョバンニはもういろんなことで胸がいっぱいでなんにも云えず(中略)一目散に河原を街の方へ走りました。(P222)

 

私はこのシーンでジョバンニは「死んでしまったら意味がないじゃないか」と感じたんじゃないかと思ったのだけど、それは『幸せなんて犠牲の上に成り立つものでもないだろう』という私の価値観・信条のせいかもしれない。

 

涙が出るという感想を抱いている人もいたのだけど、私はそこまで感情が揺さぶられることもなく。理解が及ばなかったのだろうな、とそんな気がしている。

 

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