【田舎の紳士服店のモデルの妻】挫折を知らなかった妻の愚痴

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【田舎の紳士服店のモデルの妻】(著:宮下奈都)を読了。

 

夫が鬱になり、小さな子ども2人いる家族4人で、東京から夫の実家がある田舎へ移り住んだ女性(妻)の10年の物語。

 

この作品を『解決策のない愚痴を延々と聞かされている気分になった』と評していた人がいたが、私も同意見である。共感した、勇気を貰った、という感想もあったので、私には合わなかっただけなのだろうけど。

 

妻であり母でもある梨々子は、東京から田舎に移り住むことになった時に、都落ちにでもなったような気持ちになる。自分はそこそこ美人で、子どもたちも良い幼稚園に入れて、首都・東京ですごく順調だったのに、どうしてこんな風になっちゃったんだろう?と思う。

 

だけどね、鬱になったら帰れる実家があって、実家が会社を興しているから正規の就業時間で働けなくても仕事があって、そんな状態なのに梨々子は仕事も探さないで専業主婦をしていて。めちゃくちゃ恵まれていると思う。梨々子は少しでも自分の力で人生を好転させようって気持ちがないんだろうかと思う。

 

「会社、辞めてもいいかな」

「辞める?」「辞めてどうするの?」

どうするの、と聞いたのだ。素直な疑問だった。だけど、後々、達郎はこのときのことを持ち出して、さびしかったとつぶやくことがあった。さびしかった、僕はさびしかったんだよ。よくよく聞いてみると、どうするのではなく、どうしたのと聞いてほしかったのだそうだ。(P12)

 

確かに『学校を、会社を、辞めたい』と言われたら普通はまず「なんで?」「何かあったの?」と聞く気がする。

私も親に『学校を辞めたい』って言った時に『辞めてどうするの』って返ってきたんだけど、その言葉って「学校よりももっと身になることがあるの?」「価値があることがあるの?」って上昇しか許されていない気がして嫌いだ。環境を変えたい、ちょっと休みたい。そんな理由じゃ納得しないくせに。

 

その時に「あぁ、この人たちには理想の子ども像があって、そこからはみ出すのが我慢ならないんだな」って感じて、根っこにあった「どんな自分でも愛してくれる存在」が揺らいだ気がした。さびしい。

 

逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…ってシンジくんかよ。自分で自分を鼓舞するならまだしも、何で他人に『逃げちゃダメだ』って言われないといけないんだ。それなら私の代わりにエヴァに乗って行ってくれよ。

 

自分はこんなところにいるべきではないのだ、いつか何者になるのだと思うことで、自分を支えてきたような気がする。自分は言い訳してきたということだと思う。私の思う「何者か」は周囲に自慢したい姿だった。(P251)

 

しかも他人の力、魅力的だった旦那や子供のお受験で、『何者か』になろうとしていたんだもんね。子供がさ「僕が頑張れば、ママは喜ぶもんね」って言うの。これ、すごい残酷だと思う。

 

梨々子が「『何者』でもなくても幸せに生きていけるじゃん」って気が付いたのが40歳。遅い。

自分が『特別じゃない』とか『何者でもない』とか、『全てを手に入れることは出来ない』とか、こういうことって20歳くらいで気が付いて折り合いをつけていくようなことだと思う。

 

子どもへの向き合い方は、優秀な人間なんてたった一握りしかいないのにそれに当てはまらない限り不安は尽きないんだろうな、ぐらいのことしか想像できないけれど、不完全な人間同士なのだから、パートナーに対しては「支えてあげたい」って精神をもっと持っても良いんじゃないかなと思った。

 

幸せにして欲しい、特別にして欲しいって気持ちばかりで、夫を特別にしてあげたい、幸せにしてあげたいって気持ちはあんまり感じられなかったから、対等じゃないなと感じた。

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