【虹色天気雨】(著:大島真寿美)を読了。
少し前に【ふじこさん】という作品を読んで作者買いしたのだけど、この作品は【ふじこさん】ほど私にはハマらなかったかな。
私が独り身というステータスであることも関係しているのか、この手の作品は振り回される子どもの立場を慮りがち。
10歳の娘である美月はすごくいい子だ。頭も良さげだし、手もかからなそう、随分と空気を読んでいる様子もうかがい知れる。
大人びている子供(手のかからない子供)って今も昔も一定数いると思うのだけど、たまたま育てやすい子だったのか、それとも大人っぽくならざる得なかったのか…この違いの重大さに気が付いているんだろうか。
そんなことを考えてしまうぐらい奈津と(あんまり出てこないけれど)その旦那は”親”として頼りないというか、めちゃくちゃ子供っぽい。
失踪事件が起きる前に美月とお父さんがカフェで休憩していた時に、知人女性が「私がママになったらどうかな~?」なんて冗談で言ったことが明らかになった時、「小学生に対して冗談でもそんなことを言うな」と怒りを抱いた市子の方が、市子に娘を丸投げした奈津よりもよっぽど母親らしいと思った。
物語の終盤にこんな描写がある。
観客席にいる私達に気づいた美月が、ゆっくりとこちらを向き、心から楽しそうに笑った。大きく口を開けてけらけらと。(中略)
あれじゃ天使に見えないよ、そこら辺の小学生の顔してる。いいんだよべつに、と誰かが言う。美月は人間なんだから。(P231)
この笑顔が美月に年相応の子どもらしくいられる場所がある、という意味合いだったら良いなと思う。
この作品には市子のほかに”まり”というもう1人の幼馴染の女性や、三宅ちゃんというゲイの友人、三宅ちゃんが経営する事務所の社員たちがワイワイ出てきて、みんなで美月を包んでいるような雰囲気がある。
【ふじこさん】を読んだ時に、私は”ありのままでいられる居場所をくれる人は親とは限らないんだな”って感想を抱いていて、そういうメッセージ性を伝えたいのならば【虹色天気雨】のストーリーは大正解だと個人的には思う。
だけど『年を取っても、備わったステータスに違いが出ても、変わらない女の友情があるのよ』って内容だと読んだ場合はどうかな。ウーン、と思ってしまう。
おそらく年齢設定は30代半ば以降の女性たちだと思うのだけど、あまりにも言動が幼稚では?
幼馴染よりもっと遠慮のいらない関係であろう家族だったとしても、娘を急遽預けることになったらもっと申し訳なさそうにするし、「オーディション、代わりについて行ってよね」みたいな、さも「当然行ってくれるよね?」ってスタンスはどうなんだろうか。
おい、市子!そんな押し切られがちな性格でフリーランスやっていけているのか!?
いくつになっても変わらない友情ってものに憧れはあるけれど、最低限の”礼儀”や”気遣い”は互いに持っていたいと私は思うけどなあ。
この本を読んで「女の友情SAIKO!」ってなるのは、奈津のような立ち位置の人間だけじゃないか?
あれ?1度読んだ時は「ずっと付き合える友人がいるなんて良いな」ぐらいには肯定的な部分もあったのに、感想を書くために思い返したらイライラしてきた。あんまり好きじゃないのかも、この作品。
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