【凍りついた香り】私とあなたを繋げたものは香りだけ。

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【凍りついた香り】(著:小川洋子)を読了。

 

小川洋子作品はまだそれほど読めていないのだけど、『どこかミステリーっぽいのに、物語の本質はそこではない(明確な答えはない)』作風は恩田陸に似ているなあと思った。

 

私の読む恩田陸はゾワリと狂気を感じる作品が多いが、小川洋子は静かな寂しさを感じる作品が多い印象。

 

さて、そろそろ【凍てついた香り】の感想を綴ろう。前以て言っておくけれど、作品を読んでいない人には全く伝わらない感想だと思う。

 

物語は涼子のパートナー・弘之の自殺から始まる。

パートナーの死により、家族は居らず天涯孤独だと言っていたのに家族がいること、弟とは定期的に連絡を取り合う仲だったこと、を知る。

 

「名前と住所、まあ、これはいいとして。生年月日、本籍、学歴、職歴、家族構成、特技・資格…。何もかも、全部違っている。」

弟と知り合ったことで、弘之から聞いていたそれまでの人生がまるっきり真実でないことが明らかになっていく。

 

キーポイントは”香り”だ。

彼は涼子に”記憶の泉”という香りの香水を贈り、”記憶の香り”と共に命を絶った。

 

これだけを見ると単純に恋人である涼子に「自分のことを忘れずにいてくれ」というメッセージにも読み取れるが、私は彼が涼子に”記憶の泉”を贈ったのは、それが弘之自身が自分自身でいられた(偽らずに生きていた)中で最後の記憶だからじゃないかと思う。

 

「予言者なんかじゃないさ。だって未来は予測できないからね。香りはいつだって、過去の中にだけあるものなんだ」(P66)

 

彼が遺したフロッピーに入っていた文章

『岩のすき間からしたたり落ちる水滴、洞窟の湿った空気』

『締め切った書庫。埃を含んだ光』

『凍ったばかりの明け方の湖』

『緩やかな曲線を描く遺髪』

『古びて色の抜けた、けれどまだ十分に柔らかいビロード』

 

これらはどう考えても、あの数学コンテストにまつわる香りの記憶だ。

天才ゆえに?環境ゆえに?彼は彼として生きてゆけなくなってしまったのだろうけれど、自分として生きてきた過去を忘れないように抗っていたのかなあと私は思ったりする。

 

1つ理解できなかったことは、涼子が遺された物から弘之を辿っていくのだけど、出てくることは一緒に暮らしていた彼からは想像できないことばかり。そうして、本当の彼に辿り着いた時に涙する、という終盤に訪れるシーンである。

 

どうなんだろう。泣けるものなのかな。

 

私には、”弘之という人間は数学コンテストのあの日に死んでしまった”としか思えず、体は同じでも高校生の彼と大人の彼は全くの別人に感じてしまう。

 

私が涼子だったら本当の彼に辿り着いた時、自分と彼が過ごしていた時間は幻だったんじゃないか、私が共に過ごした彼の存在などそもそも無かったのではないか(自分の妄想だったのではないか)、とただただ茫然としてしまいそう。

 

そこを「いや現実だったんだ」と実感させるのが、大人の彼が贈ってくれた”記憶の泉”と高校生の彼も嗅いだであろう”孔雀の心臓の香り”が一致することなのだろうけども。

 

タイトルに言及するならば、最初はパートナーの偽りから始まるので不穏や不安、それこそ空気が凍えて冷えるような世界観だった。最後はほっとできるような、それこそ氷が溶けていくような温かさがあったと思う。

 

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