【さようなら、私】(著:小川糸)を読了。
3作の中短編『恐竜の足跡を追いかけて』『サークルオブライフ』『おっぱいの森』が収録されているのだけど、3作品全てを読み終えた時、本のタイトル【さようなら、私】が「ああ、なるほどピッタリだ」とすごくしっくりきた。
3作とも、生き辛さを抱えた主人公たちが、気付きや経験を経て過去の自分と決別し、今までとは別の視点を得て人生を歩んでいく物語となっている。
さしずめ『さようなら、(昨日までの)私』といったところだ。
『恐竜の足跡を追いかけて』に出てきた言葉をいくつか遺しておきたい。
もしも、ナルヤと中学時代にそういう関係になっていたら、私は先生を好きになることもなかったのに。違う人生を歩んでいたかと思うと、人と人の出会いって、本当に絶妙だと思った。(P51)
出会いそのものだけじゃなくて、どのタイミングで出会うか、どんな関係性で出会うか、例えば恋人候補として出会うのか、先輩後輩として出会うのか、そんなちょびっとのズレが生じるだけで、人生は大きく変わることもあるのだろうなと思う。
恩田陸の【夜のピクニック】という作品に、”いとこのお兄さんが小学生の自分に勧めてくれた本を当時は遊びに夢中で読まず、大きくなってから読んだ時に「ああ、しまった。(何であの時に読んでおかなかったんだ)」と嘆く男の子”が出てくるのを思い出した。
自分を変えてくれるような出会いというのは、”人”に限ったことではないのかもしれない。
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「これは、俺の数少ない人生経験から得た教訓だけど」
ナルヤは、丁寧に前置きをした。
「もし自分に行き詰まったら、もっと広い世界に飛び出して、自分よりも上を見ると良いんだ。狭い世界でうじうじしていたら、もっと心が狭まってくだらない妄想に取りつかれるだけだもん。自分のことなんか誰も知っちゃいない、屁とも思っていない世界に自ら飛び込めば、自分がいかにちっぽけな存在か、嫌でも思い知らされるよ。そうすれば、開き直って、もっと成長ができる。自分に限界を作っているのは、自分自身なんだ」(P114)
ちょっとこの文章の本質とは違うのだけど、「もし自分のことを知っている人が誰もいない土地で人生のリスタートができたら、どんな風に生きていこう?」と想像することがある。
しみついたポジションや、キャラクターみたいなものがあって、別にその位置づけが我慢できないほど嫌なわけではないのだけど、選べるのなら、もっともっと穏やかな人格で生きていきたいなあと妄想するたびにその結論に辿り着くのだ。
”自分のことなんて誰も知っちゃいない世界”へ飛び込む勇気はなくても、私が変わろうが誰も気にせんよ!ってある種の開き直りがあれば、”自分らしく”生きたいように生きているのかもしれないなと思った。
もしかすると、私は自分が思っているよりもずっとずっと自意識過剰なのかもしれない。
この週末は開き直って”なりたい自分”で過ごしてみようか。意外となんともなく時間は過ぎていくのかもしれない。私にも『さようなら、私』ができる日が訪れると良いな。
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