【偶然の祝福】リアルと創作の境界線に立たされて

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【偶然の祝福】(著:小川洋子)を読了。

 

小説なのだけれど文章の響きがエッセイっぽい作品だった。

小説でも日常を取り上げた作品は数えきれないほどある。私が読んできた本の中にも大きな事件も起こらず、ファンタジーな世界でもない、純文学に置くしかないような小説はいくつもあるけれども、それらはきちんと創作物の香りがしていた。

 

【偶然の祝福】も紛れもない創作物なのだけど、それらと何が違うのだろう?と考えた時に”嘘をつくコツ”を思い出した。

 

嘘をつくコツは、本当を混ぜることである。

どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが嘘か分かりにくくなるからだ。
純度100の嘘はばれる。30か50か70か、本当のことを入れておくと、嘘は真実らしくなってくる。

引用:http://oookaworks.seesaa.net/article

 

【偶然の祝福】に出てくる身近な人の失踪事件も、自分の処女作にそっくりな作品がはるか昔に存在していたことも、戻ってくるはずのない万年筆が戻ってきたことも、大雨の中乳児と犬を抱えて動物病院を目指したことも、ある日声が出なくなったことも、実は著者である小川洋子さんが実際に経験されたことなのではないか、とにらんでいる。

 

それぐらい小説の色がフィクションっぽくない。

 

どこまでがリアルでどこからが創作なのか、その境界線がとんでもなく曖昧な小説だ。現実では起こり得ないことが起きて「あぁ、エッセイではなく小説だった」とハッとする。

そして”リアルなのに現実じゃない”違和感を本能的に察知しているのか、ずっと不穏さがつきまとう小説でもある。

 

この茂みさえ通り抜けたら太陽が見えてくるかもしれない、この崖さえ一つ越えれば澄んだ湖が広がっているかもしれない。そんなふうに私は自分を慰める。この沼地さえうまくやり過ごせたら…

 と、突然、私は洞穴に落ちる。足元の岩は固く不安定で、天上から冷たい水滴が落ちてくる。あたりは真っ暗で何も見えない。手をのばしても、指先がただ闇に吸い込まれてゆくばかりだ。(P.8)

 

文章のこの雰囲気、小説がどこか寂しい感じであることは想像に容易いことだろう。こんなに寂しいのに小説のタイトルは【偶然の祝福】なのだ。

 

タイトル【偶然の祝福】についても少し考えてみる。

例えば、偶然何かを与えられること(得られること)を”祝福”と言うのなら、失った物・手に入らなかった物が多い人ほど、偶然祝福される機会に恵まれているのかな、と思う。

 

「両手が塞がっていたら他に何も持てないよ」というのは有形だけじゃなく”幸せ”なんかの無形もそうなのかもしれない。持っていなかったからこそ【偶然の祝福】の主人公は偶然の幸せに気が付けたのではないだろうか。

 

寂しい物語の中に幸せを見付けるヒントを見た気がする。

 

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