【日曜日たち】(著:吉田修一)

 

【日曜日たち】(著:吉田修一)を読了。

私は初めましての作家さんだけれども、調べてみると【悪人】(妻夫木&深津のやつ)や【横道世之介】(吉高由里子のやつ)といった映画化された作品の原作者だった。どちらも観ていないけど。

 

接点のない5人の男女の良い意味でも悪い意味でもちょっと特別な日曜日。そこに毎回登場する幼い2人の兄弟。この兄弟を共通点とした連作短編になっている。

 

連作短編という形も、各章の内容も目新しいことがあるかと言われると決してそんなことはないのだけど、上手く言えないが、何だかジンとくる良い小説だった。テンポが私に合っていたのかな。

 

きっとちょっとした表現なんかも私好みだったんだろうなあ。例えば引っ越し当日の女性の章では…

バス通りへ出ると、いつも買物をしていたスーパーの前を通った。入口に「玉子特売」のポスターがあり、ここでいったい自分は幾つくらいの玉子を買ったのだろうかと、ふと思う。週に一度十個入りパックの玉子を買ったとしても、一年で約五百個、十年で五千個になる。あの部屋が五千個の玉子の殻で、埋もれていく様子が浮かんでくる。(P176)

 

こんな文章があると、自分が食べてきた玉子の数をザッと計算してしまう。ちょっと独特の感性でありながら、玉子を消費するという誰もが共通して持っている日常のことをフィーチャーしていて、上手いなあと思った。

 

読者としては、どの章にも登場する幼き兄弟の行く末を案じてしまうのだけど、ベストな結末とは言えずとも良い未来に落ち着いていたのも良い読後感に繋がっていた。

 

『日曜日の被害者』という章で、主人公の友人が泥棒被害に逢ってしまうのだけど、そこで主人公が「あの日(8年前に)助けてあげられなかった幼い兄弟がやった」というイメージが根拠なんてないのに浮かんでしまうシーンがある。

 

パラレルワールド…ではないけれど、あの境遇の兄弟のことを考えると有り得た未来で、似た境遇にありながら救いの手が届かなかった誰かの未来かもしれなくて。そんなイメージがじわりじわりと植え付けられていたからこそ、兄弟たちの結末に心満たされるような気持ちになれたのかなあと思う。読んでいる時は気が付かなかったけれど、実は巧妙に心理操作されていたのでは…?

 

心理描写のちょっとした表現が好みだから、他の作品も読んでみたくなって、すぐさまスマホに『吉田修一』とメモをした。

 

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