【アイネクライネナハトムジーク】(著:伊坂幸太郎)を読了。
伊坂幸太郎の作品を読むの、すごい久々だ。
『ドラマチックだから創作になるのだ』なんて言葉をどこかで聞いたことがある。これは別の角度から読み取ると、”ありきたりなことは創作にならない”ということだ。
この作品に関しては正直「出来過ぎた偶然やな!」と思ってしまった。
いやまあ、『出来過ぎた偶然=ドラマチック』だから物語になっているのだろうけど。
Free!というアニメで、オーストラリアで偶然出会って親しくなった日本人の弟が、偶然ライバルの元チームメイトで、自分のライバルにもなる…みたいな展開がある。もうそれ偶然じゃなくて、運命や呪いレベルの結びつきやんけって思いながらアニメを観ていたのだけど、似た感想をこの作品にも抱いた。
各章、それぞれが独立して面白かったので、そこまで登場人物たちの距離が密にならなくても良かったんじゃないか?そんな感想を久しぶりの伊坂幸太郎作品に感じた。
調べてみると映画化もされている。
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だけど、多部未華子と三浦春馬がどの役を担当しているのか全く見当がつかない。いったい誰よ?
本作のなかで「あ~好きだなあ」と思ったのは、出会いがないと嘆いた主人公(男)に友人が言い放ったこのセリフ。
「ようするに、外見が良くて、性格もおまえの好みで、年齢もそこそこ、しかもなぜか彼氏がいない女が、自分の目の前に現れてこねえかな、ってそういうことだろ?」
(中略)
「そんな都合のいいことなんて、あるわけねーんだよ。しかも、その女が、おまえのことを気に入って、できれば、趣味も似ていればいいな、なんてな、ありえねえよ。どんな確立だよ。ドラえもんが僕の机から出てこないかな、ってのと一緒だろうが」(P26)
この友人によると、例えば遠くのライブ会場で元同級生と偶然再会したらそれがAだろうがBだろうが運命を感じて付き合っちまうだろう、と。
だから大事なのは、後になって『あの時のあれがあの子で本当に良かった』って思えることだろうよ、って。
何かすごく良くない?
理由は分からないけど無性に私には響いて、これを誰かに使おうと思って、脳内メモリーにインプットした(笑)
大多数の人にとっての伊坂幸太郎はどうか分からないけれど、「あ、私の知っている伊坂幸太郎だ」って私が強く感じたのは【ドクメンタ】という章だった。
2人が出会うきっかけは性格がズボラだったから。
免許更新が面倒くさくて、期限ギリギリの日曜日にしてしまうことで繋がりができる2人。いるよね、こういう人たち。
『ジャイロスコープ』に収録されている【if】という物語も日常のあるあるが上手いこと物語に組み込まれていたから、【ドクメンタ】の章を読みながら【if】を思い出していた。
【アイネクライネナハトムジーク】に出てくる、みんなのマドンナなのに変わり者の男性とデキちゃった結婚をした女性がこんなことを言う。
『あなたは彼の何を好きになったの?』
「うまく言えないけど、あの旦那とわたしと子供たちの組み合わせがね、わたしは結構好きなんだよ」(P80)
出会いを求めた時、ついつい相手のステータスを気にしてしまいがちだ。
だけど人と人っていうのは最終的に相性の良し悪しが心地よさに繋がるのだと思う。
第三者に自慢できるステータスを持っているよりも、それぞれはデコボコでも当事者たちが「一緒にいるのがしっくりくるね」って思える関係こそが素敵な関係だよなあとしみじみ思った。
じゃあ、そういう人とはどう出会えば良いの?ってことなんだけど、こればっかりは運で、それこそ『あの時のあれがあの子で本当に良かった』って後に気が付くことが出来ることなんじゃないだろうか。
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