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【うつくしい人】(著:西加奈子)を読了。
西加奈子の作品は2作品目。前回の作品があまり私にヒットしなかったので、どうだろうか…と思いつつ手に取った。今回の作品は結構好き。
あとがきで『精神的に不安定な時期に書いた』と仰っていて、なるほどなと思う。息苦しさが滲んでいるような文章だった。
私は、「誰から見た私」でしかない。ずっと誰かの真似をし続けてきた私は、自分の感情の答えを決めることさえ、出来ないのだ。(P19)
誰に―、て言われると本当、誰に、て感じなんですけど。とにかく気になるんです。気になるの、人の目?自分が社会的にどういう位置にいるのか。どう思われているのか。自分のことを見ている自分の目が、何重にもありすぎて、自分が自分でいることがどういうことか、分からなくなるんです。(P147 一部改変)
私自身もこういうことに悩み苦しんでいる1人ではあるけれども、『世間の正解ばかりを気にしていたら自分の感情が見えなくなっちゃった』って人物が出てくる小説って結構多くて、隠しているだけでありがちな悩みなのかなあと最近思っていたりする。
似た悩みを持つ登場人物が悩みから解放されていく様子は、ポワッと希望を与えられた気持ちになるので、そういう意味でも読んで良かったなと思う。
今まで随分、自分の体に意地悪をしてきた。押さえつけ、誤魔化して、「彼女」の欲望に、耳を傾けなかった。(P219)
私は誰かの美しい人だ。私が誰かを、美しいと思っている限り。(P227)
ここで言われる”美しい人”は美形という意味ではなくて、好かれるとか好感を持たれるとかそんな感じ。
【あのひとは蜘蛛を殺せない】(著:彩瀬まる)という作品に、親からかけられた”ちゃんとしなさい”の呪いに怯えて生きる女性が出てくる。終盤で『自分に理由があろうがなかろうが、嫌われるときは嫌われる』って気が付くのだけど、これと似たような言葉で『全人類に好かれる人はいないし、全人類に嫌われる人もいない。だけど、自分というものがなく相手に合わせてフラフラしているだけの人は誰の特別にもなれない。』という文章をどこかで読んだ。この2つをふと思い出した。
どうせ嫌われる、わがままに生きても共感してくれる人もいる、そう考えると世間体に怯えて生きるのって何だか馬鹿らしい。
自分をパーンッ!と解放するかどうかは別として、この事実を知っただけで、世間体に対して感じていた恐怖レベルがぐぐぐっと下がったのを確かに感じた。
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