【異類婚姻譚(著:本谷有希子)】を自分なりに解釈してみた。

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異類婚姻譚】(著:本谷有希子)を読了。

 

主婦の私はある日、自分と旦那の顔がそっくりになっていることに気が付く。

そんな「あるある!」と言ってしまうような気付きから物語はスタートする。

 

同じ釜の飯を食べ、長い時間顔を見合わせ、同じ生活リズムで生きていく、そうしていればそりゃ似てくるさ。…という明るい話ではない。徐々に不穏で不気味な感じが増していく。

 

「あっ。」私は思わず大きな声をあげた。

旦那の目鼻が、顔の下のほうにずり下がっている。

瞬間、私の声に反応するかのように、目鼻は慌ててささっと動き、そして何事もなかったように元の位置へ戻った。私は目を見張った。さっきのは、一体なんだったのか。(P35 一部改変)

 

正直言うとあまりよく分からなくて、「他の人の感想に何かヒントがあるかも」と検索したことで知ったのだけど、タイトルになっている【異類婚姻譚】とは”人間と人間以外のものが結婚する物語”の総称として使われている言葉だそうだ。

 

結婚した妻が蛇や鶴だった、夫が実は妖怪だった、とかそういう物語のことを【異類婚姻譚】と言う。

 

私はこういうジャンルの物語をきちんと読んだことがないので、想像というよりも妄想に近いのだろうが、『人ならざる者が配偶者にそれをバレないためにすることって人間をマネること』なんじゃないかと思う。小説のほうの【異類婚姻譚】に出てきた顔のパーツが動くシーンはそれを表しているんじゃないかと思った。

 

小説の中の大きな不気味なシーンの1つは、ある時からせっせと揚げ物を作るようになった夫が、やんわりと断っても「揚げたてが美味しいよ」と必ず食べるのを勧めてくることだろう。

 

説話である【異類婚姻譚】にあてはめて考えてみた。

人ならざる者が料理を勧めてくる。それは即ち、人間を自分たちの種族に寄らせようとしているのではないか、と。そうしていつの日か人間なのかそうじゃないのか分からない存在になっていく。相手と自分の境目がどんどんぼやけて、似た存在(種族)になっていく。

 

異類婚姻譚】(説話)では、それは恐ろしいこと・気味が悪いこととして描かれている。しかし、現実世界で「結婚して似てきましたね(同化してきましたね)」というのはどんな意味合いで使われているだろうか。

 

小説の【異類婚姻譚】が言いたい事は、「夫婦が似てくるっておかしいことじゃないのか?」ということなんだと私は読んだ。意識的でも無意識でも、ぐにゃぐにゃとパートナーと自分の境目を無くそうとはしていないか?自分という人格で生きているか?…そんな警告にも近い疑問を投げかけているのではないかと思った。

 

結婚というのは個人と個人が家族になること。それは2人が1つの物(家庭)を作っていくことで、2人が1つになるということではない。…って感じだろうか。

 

自分なりの解釈を探すのも、感想を綴るのも、あまりにも難しかった。

 

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【水やりはいつも深夜だけど】パートナーは自分で選べる唯一の家族

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【水やりはいつも深夜だけど】(著:窪美澄)を読了。

 

母としての立ち回りに悩んだり、父親・夫として家族の中で上手く居場所が作れなかったり、子どもの成長に悩んだり、父の再婚で新しくできた家族に悩む女子高生、母と父母の不仲に挟まれる男子高校生…などなど家庭を描いた6作の短編集。

 

既婚者の中には家庭を持ったとたんまるで1つステージが上がったように振る舞う人がいるけれど、結婚したからって、子どもを産んだからって、悩みや不満に対する耐性が強くなるわけでも、受け入れる容量が大きくなるわけでも、対応力がグンと大きくなるわけでもない。独身・既婚関わらず、悩んで悩んで人として1つ成長できるんだなあと改めて思う。

 

気になったのは子どもサイドの視点から物語が進む『かそけきサンカヨウ』『ノーチェ・ブエナのポインセチア』の2つ。

父が再婚して新しい母親と妹ができた女子高生と、母と祖母の意見が合わなかったのに自分の病気が発覚したことで更に母の立場が弱くなってしまったのを感じながら過ごす男子高校生。

 

夫婦がうまくいっていないのは「相性が悪かったんだな」「見る目がなかったんだな」と思うけれど、子どもが子どもらしくいられない、大人のように色んな事を飲み込まなきゃいけない家は、そこで生まれた子どもがただただ可哀想だと私は感じてしまう。

 

父の再婚…の女子高生は父子家庭だったから、再婚前は父親が遅くなる日や泊まりの出張なんかがある日は一人でご飯を作って食べるのだけど、新しい母と妹との初対面の時に妹が父親に随分と懐いているのを見て、『自分が1人でご飯を食べていた夜に、3人で居たんだろうな』って思っている描写が個人的にはとても寂しかった。

 

その後にちょっとした事件が起きて「ずいぶんと早く大人にさせてしまったなあ…」(P212 父の台詞)なんてあったりするのだけど、この人、今までの娘の孤独感に全く気が付いていないんじゃないか、とモヤモヤ。

 

『ノーチェ・ブエナのポインセチア』にこんな男子高校生のモノローグが出てくる。

僕の家のカタチのことを考えた。それを自分で選んだわけではない。そのカタチを自分で選ぶことができない。

大人になれば、僕はそのカタチを選べるようになるんだろうか。(P247 一部改変)

 

「パートナーは自分で選べる唯一の家族」という歌詞をどこかで聴いたことがある。どんな親の元に生まれるか、どんな子が生まれてくるか。それは選ぶことができない。夫婦までなら家(族)のカタチをある程度選ぶことができる、というか望んだように作っていけるのではないかと思う。

 

あとがきが著者の窪美澄さんとアイドルの加藤シゲアキさんの対談になっているのだけど、その中で著者の窪さんがハッキリと『家族小説』と仰っていたので、私もハッキリと不満点を述べる。

小説に収録されたどの物語にも子どもがいて、夫婦2人で成り立つ家族がなかったことが気になった。家族の最小単位数は”2”だと私は思っているから。

 

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【素晴らしい一日】長所は見方を変えると短所に。つまり短所も…?

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素晴らしい一日】(著:平安寿子)を読了。

 

ダメ人間が主役な6作の短編集。

ダメな人たちなんだけど、読み進めていくうちにどこか愛らしく思えてくるのだから不思議。

 

『「付き合っている時には優しいところが好きだったのに、結婚したら優柔不断なところがイヤでたまらない」って言う人がいるけどね、その人は何も変わっていなくて、あなたの見方が変わっただけなの。優しさに惹かれたなら、その個性が持つデメリットも受けれる覚悟を持たなきゃ』という”中村うさぎ”の言葉を思い出す。

 

中村うさぎ”は私の中でファンキーな人として認定されているのだけど、コラム記事なんかを読んでいるとズドンと鋭い言葉があって、TVで見せている顔よりもずっとリアリストなのだなあと思う。

 

『長所と短所は表裏一体』と言われるように、良いなと思っていた一面がある日不満に思えてくることはある。だけどそれは逆パターンも通用する。ダメなポイントは違う側面から見ると長所になっていたりするのだ。

 

素晴らしい一日】にはそんな物語が収録されている。

生きる上で必要な努力は、個性を長所として捉えてくれる環境を見付けることじゃないかと思ったりする。優しさを優柔不断でじゃなく協調性と捉えてくれるような、勝気をキツイ性格ではなく向上心があると捉えてくれるような、自分の個性が長所になる環境を。

 

作中ではこの言葉が1番響いた。

「自活するっていうのは、誰の手も借りないってことじゃないよ。人間、一人じゃ生きられないと割り切ることだ。世の中、持ちつ持たれつ。誰かに助けられたら、いつか誰かを助けりゃいいんだよ。」

カーンと一発、満塁ホームラン。そんな爽快感があった。(P234)

 

「依存しないためには依存先を増やせば良いんだよ」って言葉を初めて耳にした時『とんでもない宝物を見付けちゃった!』って気持ちになったのだけど、”カーンと一発、満塁ホームラン”か。確かにそれぐらい心が晴れるような気持ちになったなあと、懐かしくなった。

 

私たちは欠点をなくそうとあくせく努力するけれど、ドラマや漫画なんかでは欠点のある人間ほど魅力的だったりする。美形で性格も良くて頭も良い、そんなキャラクターは意外と人気が出なかったり。

”完璧でないゆえの魅力””欠点が魅力になる”そんなことを改めて認識した気がした。

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【とにかくうちに帰ります】思い出す東日本大震災の日

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【とにかくうちに帰ります】(著:津村記久子)を読了。

 

日常の「あるある!」「いるいる!」を上手に描写される作家さんだなあと思う。彼女の小説を読むと、普段の私はいかに意地悪だったり傲慢な視点で人や出来事を見ているのだろうと反省する。マイナスな視点を捨てて見てみれば、モヤッとしていた『いるいる!』はその人の愛らしい個性でもあり、イラっとされられていた『あるある!』は笑いに消化できる一面もあるのだなあと思う。

 

【とにかくうちに帰ります】は豪雨で交通網がマヒした中、なんとか歩いて帰路につこうとする人たちの物語。

 

ここ数年、想像のレベルを超える自然災害が多く、”帰宅難民”という言葉を聞くことが増えたように思う。

私は運が良い事に人身事故で電車に2時間くらい缶詰にされた経験以外、ヘロヘロになるような帰宅困難な状況は記憶にない。そういう状況になったらカラオケとかネットカフェとか夜を明かせる場所でやり過ごせば良いのにって思っていたのだけど、逆にそういう危機的状況だからこそ心身共に安全地帯である”家”に帰りたくなるのかもしれないなと思った。

 

東日本大震災の日に10万円越えの高級自転車がバンバン売れたというニュースを思い出した。家への執念というか、「とにかく帰らなきゃ」って気持ち、私にはそんなに無いと思っていたけれど、あの日と同じような状況が私にも降りかかったら、3万円くらいまでの自転車だったら「えい!」って買ってしまうかもしれない。さすがに10万円は買えない気がするけど。

 

雨の中、濡れて気持ち悪く、体も冷えて、足も疲れて…

駅から家に帰るまでのコンビニは開いているだろうか。わたしもからあげが食べたい。味噌汁でもいい。菓子パンでもいい。あんことマーガリンのやつだ。おにぎりでもいい。あったかいお茶を飲みながら食べるのだ。ひさしぶりにインスタントラーメンも幸せかもしれない。

家に帰って食べたいものを、マッチ売りの少女のように数える。(P181)

 

この気持ちは電車に缶詰になった私にも分かる。

電車はいつ動き始めるんだろうというイライラの隅っこで、足が疲れたからお風呂に浸かりたい、お風呂上りにアイス食べたいな、買って帰るか、いやもう疲れたからシャワーとお茶漬けで済ませてサッサと横になろうかな…なんてことをずっと考えていた。”マッチ売りの少女”という比喩も何だか可愛くて好きだ。

 

温かい紅茶とちょっとしたお菓子をつまみながら【とにかくうちに帰ります】を読めているこの状況に、すこし感謝が浮かんだ。

 

雨の中歩いて帰るしかなくなった時、きっとこの小説を思い出す。そしてそんな嫌なハプニングの中でもちょっとだけドラマチックな面白い見方が出来るはずだ。この小説を知らなかった自分よりも、心が死なず1歩1歩家へと足を踏み出せるような気がする。

 

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【田舎の紳士服店のモデルの妻】挫折を知らなかった妻の愚痴

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【田舎の紳士服店のモデルの妻】(著:宮下奈都)を読了。

 

夫が鬱になり、小さな子ども2人いる家族4人で、東京から夫の実家がある田舎へ移り住んだ女性(妻)の10年の物語。

 

この作品を『解決策のない愚痴を延々と聞かされている気分になった』と評していた人がいたが、私も同意見である。共感した、勇気を貰った、という感想もあったので、私には合わなかっただけなのだろうけど。

 

妻であり母でもある梨々子は、東京から田舎に移り住むことになった時に、都落ちにでもなったような気持ちになる。自分はそこそこ美人で、子どもたちも良い幼稚園に入れて、首都・東京ですごく順調だったのに、どうしてこんな風になっちゃったんだろう?と思う。

 

だけどね、鬱になったら帰れる実家があって、実家が会社を興しているから正規の就業時間で働けなくても仕事があって、そんな状態なのに梨々子は仕事も探さないで専業主婦をしていて。めちゃくちゃ恵まれていると思う。梨々子は少しでも自分の力で人生を好転させようって気持ちがないんだろうかと思う。

 

「会社、辞めてもいいかな」

「辞める?」「辞めてどうするの?」

どうするの、と聞いたのだ。素直な疑問だった。だけど、後々、達郎はこのときのことを持ち出して、さびしかったとつぶやくことがあった。さびしかった、僕はさびしかったんだよ。よくよく聞いてみると、どうするのではなく、どうしたのと聞いてほしかったのだそうだ。(P12)

 

確かに『学校を、会社を、辞めたい』と言われたら普通はまず「なんで?」「何かあったの?」と聞く気がする。

私も親に『学校を辞めたい』って言った時に『辞めてどうするの』って返ってきたんだけど、その言葉って「学校よりももっと身になることがあるの?」「価値があることがあるの?」って上昇しか許されていない気がして嫌いだ。環境を変えたい、ちょっと休みたい。そんな理由じゃ納得しないくせに。

 

その時に「あぁ、この人たちには理想の子ども像があって、そこからはみ出すのが我慢ならないんだな」って感じて、根っこにあった「どんな自分でも愛してくれる存在」が揺らいだ気がした。さびしい。

 

逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…ってシンジくんかよ。自分で自分を鼓舞するならまだしも、何で他人に『逃げちゃダメだ』って言われないといけないんだ。それなら私の代わりにエヴァに乗って行ってくれよ。

 

自分はこんなところにいるべきではないのだ、いつか何者になるのだと思うことで、自分を支えてきたような気がする。自分は言い訳してきたということだと思う。私の思う「何者か」は周囲に自慢したい姿だった。(P251)

 

しかも他人の力、魅力的だった旦那や子供のお受験で、『何者か』になろうとしていたんだもんね。子供がさ「僕が頑張れば、ママは喜ぶもんね」って言うの。これ、すごい残酷だと思う。

 

梨々子が「『何者』でもなくても幸せに生きていけるじゃん」って気が付いたのが40歳。遅い。

自分が『特別じゃない』とか『何者でもない』とか、『全てを手に入れることは出来ない』とか、こういうことって20歳くらいで気が付いて折り合いをつけていくようなことだと思う。

 

子どもへの向き合い方は、優秀な人間なんてたった一握りしかいないのにそれに当てはまらない限り不安は尽きないんだろうな、ぐらいのことしか想像できないけれど、不完全な人間同士なのだから、パートナーに対しては「支えてあげたい」って精神をもっと持っても良いんじゃないかなと思った。

 

幸せにして欲しい、特別にして欲しいって気持ちばかりで、夫を特別にしてあげたい、幸せにしてあげたいって気持ちはあんまり感じられなかったから、対等じゃないなと感じた。

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【十二人の手紙】ネタバレ感想のため、未読厳禁

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【十二人の手紙】(著:井上ひさし)を読了。

 

この作品は手紙だけでストーリーが進んでいく書簡体小説というもので、他人様の手紙を覗き見しているような背徳感が味わえる。ひと様の手紙を読めるだけでも楽しいというのに、これがきちんとミステリーを成しているのだから面白くないわけがない。

 

単刀直入に言う。めちゃくちゃ私好みの作品だった。

 

携帯を持っていながら、遠くへ越していった友人と何故か手紙のやり取りをすることになった過去がある。今考えても不思議な提案をされたなあと思う。

 

手紙ってメールみたいに即レスじゃなくて、自分が出してから1週間返事が届かないとか普通だから、時間が空いてもそれまでの内容が伝わるように書き合うものだったりする。

手紙というものは人に書くものだから当然自分が書いた手紙は手元に残っていないのだけど、相手から私に宛てた手紙を読むと「あぁ、自分はこんなことを手紙に書いたのだろうな」と案外透けて見えてきたりする。

 

手紙を使ったありがちなトリックと言うと、手紙のやり取りをしている相手が嘘をついている・誰かに成りきっている、というもの。

ただこの手法はミステリーに通ずる人には目新しさがないと思うので、私が「これぞ手紙ならでは!」と思った【鍵】という章の感想を綴っておく。

 

旦那(絵描き)が不在のとある家で聾唖(ろうあ)者が殺され、絵画を盗まれるという事件が起きる。

妻が旦那に事件の詳細を説明しながら「絵の制作が大変なのも分かりますが早く帰ってきてください」という旨の手紙を出す。

 

垣根のそばの溝の中から、くしゃくしゃにまるめたコクヨ製のメモ用紙が四枚発見されました。

  1. みてください。わたしは聾唖者です。耳も聞こえません。口もきけません。
  2. うごくな。書庫の鍵はどこだ。
  3. 納戸の隣が台所です。冷蔵庫の上に鍵板があって、そこに鍵がいくつも架かっています。鍵には名札が着いてありますからすぐわかります。
  4. それでは一緒にこい。

刑事さんの推理によると……

この二十世紀の世の中にわたしが頼れるのは手紙だけだなんて、こんなもどかしいことってあるでしょうか。この手紙が着き次第、ご帰京なさってください。おねがいいたします。

 

しかしながら返事も返ってこなければ、旦那も帰ってこない。

しびれを切らした妻が「なんて冷たい人なんでしょう」と綴った手紙にやっと返信が。

 

「『架ける』は『掛ける』。『名札が着いている』は『名札が付いている』。耳の聞こえない者は形で漢字を認識しているため<同音異字>は存在しないのだよ。お前が犯人なのではないか?」

 

読んだ時に「うわ、本当だ」とすごく素直な反応をしてしまった。

こんな風にビリッとした驚きがあるお話が13話。よく出来ている、と言うとどこか上からな感想になってしまうけれど、本当にどれもこれもがよく出来ていて面白かった。

 

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【この世にたやすい仕事はない】”楽”ではなく”たやすい”

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【この世にたやすい仕事はない】(著:津村記久子)を読了。

 

ストレスに耐えかねて前職をやめた主人公が、社会復帰のために「簡単な仕事を紹介してください」と仕事を紹介してもらう。小説(フィクション)だからある意味当然なのだが、簡単だけど癖のある仕事(職場)ばかりが出てくる。

 

最初は『一見簡単に見える仕事でも、大変な面はあるのだよ』という内容なのだと思っていたのだけど。

  • ふとした陥穽(かんせい)は、どこにでも口を開けているのだろうと思う。(P422)
  • どんな穴が待ちかまえているかはあずかり知れないけれども、だいたい何をしていたって、何が起こるかなんかわからないってことについては、短い期間に五つも仕事を転々としていてよくわかった(P424)

 

プライベートも仕事もダメダメな日や、ハプニングが起きて苦痛な環境が訪れること、自分が原因だろうがそうじゃなかろうが、そんな精神的にツラいことが重なって穴に落っこちて這い上がれなくなってしまう(=働けなくなってしまう)可能性は誰にでも、どんな仕事にも、存在する。

 

現に主人公も行く先行く先で「この仕事は自分に向いているかも」と思う度に、ハプニングが起きて続けられない状況になってしまって…。

 

『楽しい・幸せって気持ちだけで働き続けられる仕事なんてあるんだろうか。多かれ少なかれ誰もが歯を食いしばって働いているのではないだろうか。』

最後まで読むとそんなメッセージがある気がして、なるほどタイトルの通り『この世にたやすい仕事はない』だなあと思った。”簡単な”ではなく”たやすい”という言葉のチョイスが本当にピッタリだと思う。

 

最後はこんな文章で締めくくられている。

ただ祈り、全力を尽くすだけだ。どうかうまくいきますように。(P424)

『ストレスのない仕事を』と求めていた主人公がそんなものは存在しないと気が付き、前を向いたことが伝わってくる良い締めだ。

 

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