【窓の向こうのガージュウィン】(著:宮下奈都)

 

【窓の向こうのガージュウィン】(著:宮下奈都)を読了。

 

未熟児として生まれ、身体も細く小さく、人の言葉もハッキリと聞き取れない主人公は、劣っていること、足りないこと、に慣れていた。そのことに悲しい気持ちなどなく、ただただそれが当たり前だと生きてきた彼女がたどり着いた仕事は、訪問ヘルパー。いくつかのお宅では担当替えを要求されるが、唯一続けられた一軒のお宅での、介護者とその家族との関りの中で主人公は人生の彩りに気が付き始める。

 

小説の主人公って基本的に人生を鬱々としている状態が多い。まあ、そうじゃないとハッピーエンドにし甲斐がないもんね。

ちょっと前に読んだ小説の主人公はえらいヒステリックだったんだけど、同じ不幸の渦中にいたとしても、この作品の主人公のポツポツと物静かな性格の方がよっぽど好ましい。世の中には「ワーッ」となっちゃうヒステリックな人も多いと思うんだけど、小説に限らずドラマでも、創作になるとその醜さが際立ってしまうのは何でなんだろう。そんな疑問と共に、ヒステリックだと同情も好感も得られないんだなあとしみじみ自覚。

 

窓を磨けば、空が見える。団地の五階から見えるただの景色はそれほど魅力的でもなかったけれど、畳に寝たまま窓を見上げると空だけが切り取られて見えた。まぶしいくらいに晴れて青い空も、銀鼠色の分厚い雲に覆われた空も、私だけのもののように感じられる。空を独占できるなんて、こんな贅沢があるだろうか。

(中略)

学校で教えてくれてもよかった。算数や国語の授業で教わることが毎日の暮らしに役立ったと感じたことは一度もなかったけれど、こういうことを教えてくれればその日から世界が少し明るくなる。暮らしやすいということはそれだけでありがたい。(P14)

 

こういう感性は結構好きだし、大事にしていきたいなと思う。

私は競争ばかりの学生生活だったから人をなぎ倒してこそ輝かしい日常に辿り着けると信じていた。『どうすれば私の世界が明るくなるのか(心地よくなるのか)』を考えてみなさいと人生の考え方を教えてくれる人がいたら、競争とは違った視点で人生の選択をしてこられたのかなあと思ったりする。競ってばかりの人生は息が切れてしまう。

 

その先に

「俺はさ、全員をひとつの基準に当てはめようとする人の物差しが我慢ならないと思いながら、自分の物差しを持っていなかったんだ。」(P181)

という文章が出てくる。現実は、この『自分の物差しを持つ』というのがすごく難しいというのは体感済みである。

 

自分の物差しを手に入れるために必要なことは、色んな生き方や考え方に触れることだ、と思う。そうしてソレを手に入れられたなら、人生はグッと満足できるものになるだろう。

だけどもう1歩進んで、どれが正解でどれが間違いかとジャッジするんじゃなくて、「どれも正解!」って思うことがもしできたなら、そんなに将来を怖がることなく、きっともっと楽しんで人生を消化できるんじゃないかと最近の私は考えていたりするのだ。

 

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