【やがて海へと届く】この作品が良しと思えるほど、まだ過去の事になっていない

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【やがて海へと届く】(著:彩瀬まる)を読了。

名前は出てこなかった(と思う)が、津波地震などのワードから東日本大震災を描いていることが読み取れる。

 

親友のすみれが一人旅の途中で震災に遭い、消息を絶って3年になる。

すみれのかつての恋人から「形見分けをしたい」という申し出があったものの、親友を亡き人と扱うことが出来ない真奈は、彼のそんな申し出に反感を覚えてしまって…

 

東日本大震災から10年が経ったけれども、未だ死亡届を出さず、行方不明になった人を探しているという人のインタビューやドキュメントを観たことがある。

きっと彼らも「もう死んでいるのだろう」とは薄々思っているのだろうから、死を受け入れるには、魂の抜けた容れ物(遺体)の存在がすごく大きな役割を果たしているのだなあ、と思う。

 

【やがて海へと届く】を読み終えた私は、猛烈にモヤモヤしていた。

真奈もすみれのかつての恋人も、すみれの親も、最終的にはすみれの死を受け入れて前を向いていくハッピーエンドなのだけど、現実では未だにこんなにも帰りを待っている人がいるのに、と思ってしまうと、じわじわと『何か嫌だ』という気持ちが広がっていく。

 

震災で遺された人にずっと悲しみに暮れていて欲しいという意味ではなく、”フィクションにして振り返るにはまだ早い気がする”こんな気持ちがしっくりくる。東日本大震災は私の中で過去に起きた大地震ではなく、未だリアルタイムの震災なのかもしれない。

 

ここ数年で東日本大震災を描いている作品が出始めた。

昨年読んだ【想像ラジオ】(著:いとうせいこう)も東日本大震災を題材にした小説だったが、こちらは”まだ早い”なんて感想は抱かなかった。

 

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感想(4件)

何が違うんだろうと考えた時に、それは登場人物がどの立場で大震災を語らっているかは大きいと思った。【想像ラジオ】は東日本大震災にボランティアに行く集団の視点、つまり第三者。【やがて海へと届く】は遺された人間の視点、つまり当事者。

 

主人公が遺体の見付からない親友の死を受け入れて、乗り越えて、新たに大事な人が出来て進んでいく。それは物語として最高に美しい展開なのだけど、まだまだ受け入れられていない人が多いこの震災で、それをやらなくても良いじゃないか、と思ってしまった。

 

これが架空の震災だったら、こんなモヤモヤを感じずに面白く読めた気がする。面白く読ませる筆力のある作家さんだとも思っている。

しかしながら、こういう死を乗り越えるという物語の道具として使って良いほど、震災からはまだ時間が経っていないのではないかと私は感じてしまったのだ。

 

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