【月魚】(著:三浦しをん)を読了。
『古書』という身近にある物をテーマにしていたため手に取った本書だけれども、最初はどこか単調でつまらなかった。しかし真志喜の父親が登場してからはグンと物語が面白くなる。
”由緒ある”古書店であるのに当主が”若い”という矛盾。それは真志喜と瀬名垣が幼かったあの夏の日に理由があった。父親のせどりを見て育った瀬名垣は、真志喜宅に積まれた処分本の中に、古書店を営む者であれば誰もが欲しがる稀覯本を発見する。
そんな本を処分本に入れてしまったこと、それを子供が”貴重な物だと分かった上で”見付けたことに自信を無くした二代目(真志喜の父)は姿をくらませてしまう。
時は経ち、真志喜たちは大人になった。古書の買い取りで訪れたとある家で親子は再会する。古書店を営んでいた家を捨てた父親は、遠い場所で新たに古書店を開いて生きていたのだ。
依頼は亡き夫が遺した本の買い取り。依頼主は「高く値段を付けてくれた方に売ります。そして1冊だけ手元に置いておきたいので、それも選んでください」と買い取りの他にもう1つ依頼をしてくる。
特別な本って人それぞれにあるのだなあということを改めて思わされる。
それはどん底の時に励みになった本かもしれないし、大事な人から贈られた本かもしれないし、ただただ内容が好きな本かもしれない。特別である理由も人それぞれ。
古書に限らずではあるのだけど、高価な物であることとその人にとって価値がある(大事である)ということはイコールではないことの方が多い。こういう考えに触れるたびにいつも、どうして私たちはみんな同じ方向を向き、良い会社に入り良い給料を貰うことが幸せの最適解だと疑いもせずに進んでいるのだろうと不思議に思う。何が大事かは人それぞれなはずなのに。
もし明日自分が死ぬことになったとして、棺に1冊、本を入れてもらうとしたらどの本を選ぼうか。そんなことを想いながら読んでいた。まだ特別な本には出会えていなかった。
価格:572円 |