【昨夜のカレー、明日のパン】不格好だから堪らなく愛おしい

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【昨夜のカレー、明日のパン】(著:木皿泉)を読了。

 

例えば、自分が結婚していて、夫と自分と義父と平和に円満に暮らしていたとする。ある日夫が死んでしまって、その時に自分はまだ若くて再婚も考えられる年齢で、だけども義父と2人の生活は共通の悲しみを持っているからそんなに悪いものでもなくて…なんて状態だったら私はどうするだろうか。

 

【昨日のカレー、明日のパン】は嫁のテツコとギフが共に暮らしながら、テツコの恋人や義父のハニートラップ事件を乗り越えて夫(息子)の死をゆっくりと受け入れていく物語である。

 

ギフのハニートラップ事件も、ギフが『自分がまだまだ若いと思えば、テツコさんは安心して家を出られるんじゃないか』『この生活は心地良いがいつまでもこのままではきっとダメだ』と思って起きてしまったことだったりして、そりゃこういう人との生活だったら心地良いし「旦那が死んだからもう他人です、サヨウナラ」とはならないよなあと思った。

 

【夫の墓には入りません】(著:垣谷美雨)も旦那に先立たれてしまう話なのだけど、こっちは『いかに義実家とさっぱりスッパリ縁を切るか』という内容で、あまりの薄情さにテツコと比べるとちょっと笑ってしまう。

記事【夫の墓には入りません】を独身が読んでみた。 

 

夫の墓には入りません (中公文庫) [ 垣谷美雨 ]

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本屋でパラパラと読んだ時にこの文章が気に入って購入に至ったのだけど、全部読んでもこのシーンが1番好きだなあと思う。

ギフとテツコは夜になると、二人きりでよく歩いていた。病院の帰り道だったからだ。

職場と病院と家とを何回も往復したあの暗い道。寒かったし、悲しかったし、二人とも疲れきって口もきけなかった。その時、行く先にポツンと明かりが見えた。近づくと、パン屋だった。もう夜の十二時を過ぎようとしていたのに、中では昼間のように人が働いていた。

テツコとギフが入ると「もうすぐ新しいのが焼き上がりますよ」と店の人に言われ、二人は待った。その時の二人は待つのに慣れきっていた。病院のあらゆるところ、検査結果を聞くための部屋や支払所、手術室、詰所などでひたすら待っていたからだ。

パンの焼ける匂いは、これ以上ないほど幸せの匂いだった。店員が包むパンの皮がパリンパリンと音をたてたのを聞いてテツコとギフは思わず微笑んだ。たった二斤のパンは、生きた猫を抱いた時のように温かく、二人はかわりばんこにパンを抱いて帰った。(P24 一部改変)

 

テツコもギフも1つもセリフがないのに、底知れぬ悲しみとそこから救い上げられるような幸福感があったことが真っすぐに伝わってくる。この胸がぎゅうってなる気持ちって何て名前が付いているのだろう。

 

テツコとその恋人についても語っておきたい。

テツコの恋人はギフのハニートラップ事件に一役買ったことから、テツコとギフが住む家で度々一緒にご飯を食べるようになっていく。

そうこうしているうちに、ご飯を待っている間に家の用事を手伝うようになり、来客用の食器だったのがお揃いっぽい食器を贈られたりする。少しずつ家の中で居場所ができてくる。

 

恋人は未だに遠慮しているのか、その食器は使って洗った後に自分の家に持って帰り、再び来るときに持参しているが、置きっぱなしになり、一緒に住むようになる日もいずれやってくるのだろうと思う。

 

法律上は紙を出した瞬間にスイッチが入れ替わるみたいに家族になるけれど、精神的に家族になるには時間がかかるものだ。一般的には入籍してから家族になっていくカップルが多いようだが、テツコと恋人とギフのような少しずつ少しずつ一緒にいることが当たり前になっていって、いつの間にか家族になっているのも素敵だなあと思った。

 

『入学!』『卒業!』『入籍!』『結婚!』…何でもかんでも人生を派手に飾り立てがちだけれど、本当はそんなことをしなくてもゆっくりと穏やかに、だけど着実に、前に進んで行けるものなのかもしれない。

 

私たちはついついルックス良し、頭脳良し、器量良し、と完璧の方が良いような気がして落ち込んだり僻んだりしてしまうけれど、人間って不完全で歪だから愛らしいんだよなあと改めて思う。

 

完璧な人間は誰一人出てこないけれど、どのキャラクターも幸せを祈ってしまうぐらい愛らしかった。

 

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