【ブエノスアイレス午前零時】の感想と言うより、ほぼ純文学について

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ブエノスアイレス午前零時】(著:藤沢周)を読了。

ブエノスアイレス午前零時』は第119回芥川賞(純文学の新人に与えられる賞)を受賞している作品なのだけど、私に芥川は未だ早かった気がする。

 

東京からUターンしてきて、閉塞感、物足りなさ、やるせなさを感じている主人公が、盲目で痴呆のある老嬢と田舎の温泉旅館にあるダンスホールでタンゴを踊る。

 

リアルか妄想か『かつてはブエノスアイレスの地でダンスを踊り、男と寝所を共にすることでお金を稼いでいた』らしい彼女の手を取り踊った時、2人の間にはぶわりと淫靡な香りがわきたち、2人の意識はブエノスアイレスへと運ばれていく。

 

ディズニーとかでありそうな、ボロ着のヒロインと平民に扮装している王子が手を取って踊ったら、あら不思議!ドレスアップしてお城で踊っているような感覚に…という描写の文章バーション。

 

「だから何なの?」と言われると、ここが純文学の難しいところで。

純文学って『リアルと幻想が入り混じるのってロマンティックでしょ?』なんて狙いがあって書かれるものではなく、『リアルと幻想が入り混じるような感覚をどのように表現するか?』に重きを置かれる文章だから、そこに意味やエンタメ性は無いのです。

 

つまり、後者はヒロインとヒーローが運命を感じるために必要なキラキラした描写だけど、純文学では運命の相手じゃなくてもこういうことがあれば書くし、それよりもその感覚をどう表現しているのか、を楽しむ文学なのである。

 

そういう観点では『ブエノスアイレス午前零時』は、ブワッとわきたつセクシーな感じだったり、ブエノスアイレスを偲んだり、そういう気持ちが伝わってくる作品だったと思う。

 

ストーリーがエンタメに富んでいる面白い純文学もあるのだけど、純文学のメインはストーリーではなく登場人物たちの心理や思考の表現のされ方。

それゆえ物語を追っていた読者は「ん?この物語は何が言いたかったの?」となってしまい『つまらない』という評価をされがちなジャンルだったりする。

 

かくいう私も、純文学というとどこか小難しく、ノルタルジーを感じさせる古臭い作品ばかりのイメージを持っていたのだけど、2020年の芥川賞は『推し、燃ゆ』という大好きな芸能人を推す心情を綴った作品が受賞したことで、随分と純文学が身近になった気がした。

 

題材が今っぽいだけで、こんなにも壁を感じなくなるものなのだなあと受賞のニュースを観ていて思った。

 

…いや、これ何の感想?

 

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