【朝が来るまでそばにいる】その感情の名は”欲情”

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コロナウイルスの影響でここ3カ月ほど本屋へ行くのを控えていた。

先日やっと本屋へ行くことが出来たが本に触れずに1カ月経ってしまっているので、短編でリハビリしていこうと【朝が来るまでそばにいる(著:彩瀬まる)】を手に取った。

 

収められた短編は人間の中にかるグチャグチャした気持ちを描いたどこかホラーテイストな作品ばかり。ゾクッとして、でも「あぁ、でも自分にもこんな感情があるなあ」と何だか少し寂しくもなる。

 

6編の短編の中で『眼が開くとき』について感想を残しておく。

『眼が開くとき』その感情の名は”欲情”

カメラマンの瑠璃と暁の出会いは小学生の時。瑠璃は転校してきた暁に一瞬で魅了された。特別、もっと近付きたい、触りたい、きれいな目を見ていたい、好きだって思われたい、いっそーーー食べちゃいたい。

大人になった2人はカメラマンとモデルとして再会し、瑠璃は暁に感じていた魅力をフィルムに収めていく。パクパクぐちゃぐちゃぼりぼりごくん。あぁ、またあの咀嚼音がする…。

 

自分でも気が付かなかった自分の魅力を引き出してくれる瑠璃に暁は「どうしてそんな風に、ぱっと、他の人が思いつかない特別な一枚を作り出せるの」と尋ねる。

「自分が気持ちよくなるのに必要なもの以外、あまり考えないし、見ないからだと思う」と瑠璃は答える。

 

エッセイスト雨宮まみさんが『私は私が美しいと思う物に囲まれて生きていきたいのです』と似たようなことを言っていた。

 

それと同時に彼女の『女の子よ銃を取れ』というエッセイの中にあるエピソードを思い出していた。

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友人が自分のことを『知的』だと言ってくれた。自分自身にそんな魅力があるなんて思ったこともなかった。

人間は自分のことをちゃんと見れていないのかもしれない。鏡を見る時は正面から無意識に顔を作って鏡を覗く。だけど第三者は横から後ろから斜めから、さまざまな角度から私のことを見ているのだ。

 

そんなエピソードと誰も気が付かなかった暁の魅力を引き出す瑠璃が私の中で少しダブって見えた。

 

激動の5年を経て暁の人気はゆっくりと墜落していった。

私はもう、食べ終わってしまった。

衝動の波を失った私の手元に残されたのは、あらゆるものを奪われ、暴かれ、踏みしだかれ、若さもとうに失った、美しいけれど普通の男だった。私が食べ終わったあとの残骸が、ただ死ぬまで息をしているだけだ。(P127)

 

「人は"食べてしまいたい"という感情をキスマークで代用しているんじゃないか?」という一節を何かで読んだことがある。食べられないから食べるフリで自分の欲求を誤魔化すのだと。

 

この小説の世界では、瑠璃は暁の魅力に気付いて、引き出して、表現するたびに咀嚼し飲み込んでいった。本当に食べてしまっていた。そして気が付いたら何も残っていなかった。

「あなたを見ていても、もうなんにも、思いつかない」(P128)

 

ここまでの全てが私の解釈でしかないけれど、そう思って読む暁の最後のセリフ

「生まれ変わったらまた食って」(P132)

これはめちゃくちゃエロい。下品じゃないエロさととんでもない寂しさにゾクゾクした。

 

「また食って」。また俺の魅力を引き出して。また俺の魅力に夢中になって。

「愛している」を『月が綺麗ですね』と言うような…。こういう文学的な言い回しってすごくえっちだ。

 

一日で一番きれいだと思ったものを描くのが習慣になった。ピアノを弾く友達の白い手、湯上りで桃色になった母のくるぶし、緑茶の入った湯飲み…(略)。一度そういう見方に慣れてしまえば、この世にきれいなものはいくらでもあった。(P95)

 

本当にその通りで、道端に落ちた軍手さえも何故落ちてしまったんだろう?どんな人が落としたのだろう?と考え始めると汚れた軍手が魅力ある物かもしれないと思えてくるから不思議だ。

 

私は自分をノーマルな性癖を持つ人間だと思っているのだけど、『フェチ』や『なんちゃらフェリア』という感覚が少しわかる気がした。性的な興奮までは起きないけれど、目を凝らせば凝らすほどこの世は魅力あるもので溢れている。

 

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