「ジョーカー・ゲーム」を読みました。はあ~~めっちゃヒリヒリする…!
スパイものって取っ付きにくいイメージを持っていたんですが、全然そんなことなくてクールなミステリーでした。
凡人の中の天才が見える話じゃなくて、天才の中の凡人(弱点)が見えるのが良かったのかな。
与えられているのは、今この瞬間、目の前にある事実だけだ
結城中佐の発案で陸軍内に極秘裏に設立されたスパイ養成学校 ”D機関” 。
「死ぬな、殺すな、とらわれるな」
この戒律を若き精鋭達に叩きこみ、軍隊組織の信条を真っ向から否定する "D機関" の存在は、当然、猛反発を招いた。だが、頭脳明晰、実行力でも群を抜く結城は、魔術師の如き手さばきで諜報戦の成果を上げてゆく…。
死んだら負け。ターゲットを殺してしまっても負け。任務に失敗しても負け。
【感想】優秀なスパイとは自分だけを信用し、自分さえも信用しない
「そんなものは所詮、後から張り付けられた名札にすぎない。いつでも剥がれ落ちる。貴様たちに与えられているのは、今この瞬間、目の前にある事実だけだ。目の前の事実以外の何ものかにとらわれた瞬間、即ちそれは貴様たちの弱点となる」
優秀なスパイとは何事にもとらわれていない。
「とらわれる」とは一体何なのか?読み進めていくと少し明らかになる。
例えば「名前」でさえもスパイにとっては重要ではない。
偽の他人に成りきって任務を遂行するスパイにとっては個人を識別するただの記号にすぎないのだ。
何かにとらわれる、つまり愛着を持ったり嫌悪したりすること。
それはスパイにとって2つ弱点になるのだと私は読み取った。
- 客観的な判断ができなくなってしまうこと。
- もう1つは愛着・嫌悪などの感情が個性になってしまうこと。
「これが好きだ」「あれが嫌いだ」という感情ってその人らしさだと思っている。
「私は猫派だから犬派のやつの話は信用できん!」みたいに、それが個人の判断に影響を絶対及ぼすことって絶対にあるよね。(この例えは大げさだけど)
誰かに成り変わり潜入し任務を遂行する上で、”とらわれる”ことは個人色を強めるからあってはならないことなのだ。
他の章と違う第4章「魔都」
本作の作りとして、章の読み始めはどのキャラクターがスパイかわからない構成になっている。
任務が完了したのち誰がスパイだったかと種明かしされる。
(スパイが誰だろうとドキドキできてすごい良かった)
ただ「魔都」では潜入していたスパイが任務に失敗してしまうので種明かしされずに話が終わる。
よって読者は誰がスパイだったのかを知ることができない。
本間だろうか、それとも草薙だろうか?塩塚の可能性も捨てきれない。
もしかしたらスパイは1人ではない可能性もある。
そういう想像が頭の中でぐわーーっと広がったこともあって、私は第4章「魔都」が一番記憶に残っている。
アニメ版をもっとちゃんと見れば良かったと後悔
小説を読む前に「ジョーカー・ゲーム」というアニメの存在を知ってはいたんです。
というか、3話くらいまで見てた。
でもキャラクターの見分けが付かなくて、潜入すると名前も変わっちゃうし…見るのやめちゃったんですよね。
今思えばキャラクターが似ているのは「個人の色を薄く」というスパイの特性を生かした表現だったのかな。
ちゃんと見とけば良かったな~~。
アニメ12話を今更見るのはツライな~と思っていたら亀梨ver の実写映画を見つけたので、映像化はコッチで楽しもうかな。
ジョーカー・ゲーム 通常版【Blu-ray】 [ 亀梨和也 ] 価格:4,155円 |
クレジットに深きょんの名前があるんやけど、何役なんやろう…。