平安寿子さんの『グッドラックララバイ』読みました。
家族って何なんだ~?
家庭って何なんだ~?
家族って不思議でおもしろい。
一人一人は個別の人間なのに、集まったらそれは家族になるんだもん。
あらすじ
プチ家出から何年も戻らない母、いいじゃないか、という”文鎮”こと父、ダメ男に貢いで飄々(ひょうひょう)と生きる姉、そんな家族にいらだち、上昇志向を実現しようと邁進する妹……。
他人の迷惑を顧みず、「自分の気持ち」に素直に生きるタフな4人がここにいる。けちなモラルや常識なんて笑い飛ばす、新しい家族の物語。
- 第一章 新しい日々
- 第二章 結果オーライ
- 第三章 ファイターのスピリット
- 第四章 イン・マイ・ライフ
- 第五章 プライドのサバイバル
- 第六章 どうぞ勝手に、グッドラック
【ネタバレ】『グッドラックららばい』感想
母が出て行ってしまった!
一大事のはずなのに当人たち(父と姉)は何でもないことみたいに受け入れてしまった。
唯一、妹だけはわーわー言っているかと思えば『母が出て行ったなんて、自分の評判が落ちる。家事だってしたくない。』なんて考えていた。
なんだこの家族は…!そんなイメージを強烈に植えつけて物語はスタートする。
待つ家族が変わり者ならば、出ていく家族(母)も変わり者である。
家出の始まりは、近所に来ていた旅芸人について行くことからスタートする。
これ以降は小さな工場で働いたり、女将代行をしたり、町内会の代表になったり…
なんと20年も母は帰ってこなかった!
家出のスタートもぶっとびだし、年月もぶっとび!
その間にこの家にお節介を焼く人ももちろん存在する。
- 父親に再婚を勧めたり
- 娘たちの母代りをするうちに(頼んでない)、親ぶってしまう人がいたり
「出て行った母親を待つのはもうやめて、前を向いたら?」
って周囲の意見はごもっともであるのに、この家族はひょいひょいっとそれらを躱してしまう。
正しく常識のあることを意見しているはずなのに、どうしても片岡家の人間を納得させることができない。
このやり取りがとてもユーモラスで平安寿子節サクレツである。
コレ(平安寿子節)が読みたいから、私は平安寿子作品を良く手に取っちゃう。
この家族にとって”家族”とは何なのか?
この作品には”家族らしさ”というものが全然表現されていない。
出て行って帰ってこない母親、捜そうともしない父と娘。
第六章を読むとわかるが、片岡家には「家族というものはひとりひとり別な人間の集まりであるからそれに左右されない」という考えがあるみたいだ。
ではこの家族にとって『家族』とはいったい何なのか?
「家に帰らなくても良いのか?」と尋ねられた母の鷹子がこのように答えている。
「家に帰るのは、疲れてからでいい。家はそのためにあるのだから。帰るというのはそういうことだから」
深イイ~(笑)
このセリフにこの家の家族の在り方がつまっている気がした。
あれ?でも…!
「じゃあその帰る場所を作るのは誰なんだ?母もその一員でしょ!」
ってならない?
母、ついに帰宅する
ついにお母さんが帰ってきた!
母が帰ってきたのは、偶然にも嵐の翌日。
家に着くと、嵐の影響で家がドロドロになっていた。
20年ぶりの我が家。さぞ、感動の帰宅…!かと思いきや、
まるで20年の年月なんて存在していないかのように、当たり前に家の掃除を始めたのである。
母に気付いた家族たちも「あ、お母さん?」くらいのテンションで、一緒に掃除を始める。
家族ってこんなものなのかな~。
何年離れてても、すぐに「一緒にいるのなんて特別なことじゃないですよ~」って雰囲気になれちゃう。
20年も家を空けちゃう母親は絶対イヤだけど、『家族です!』って肩ひじ張らなくても家族らしいお家は素直に羨ましいな~。
まとめ
以上、平安寿子『グッドラックららばい』の感想でした。
母の行動力が羨ましいです(笑)
この母に、この家族あり!って最初は思っていたんですが、家族ってどのお家もそういうものですよね。
他人と入れ替わって成り立つ家族なんてないですよね。
そういうメッセージも込められているのかな?と思いました。(ちょっとだけね)