【かもめの日】私の24時間と並行して存在する誰かの24時間

f:id:arasukkiri:20211209024355j:plain

 

【かもめの日】(著:黒川創)を読了。

 

感想を綴ってみようと思うものの、全然言葉が浮かんでこない。…というのも、読んでいる最中から、物語が伝えようとしていることが掴めるような掴めないような、私の読解力ではそんなふわふわとした理解しか及ばなかったからである。

 

名前も知らないあの人。一見何の繋がりもないように思えるが、彼ら彼女らには1つ共通点がある。とあるラジオを聴いてたり、その関係者だったり。自分がラジオを聴いているのと全く同じ瞬間に、別の人生を歩む誰かもそのラジオを聴いている。あるいは、ラジオを放送している。その瞬間、全く無関係だった彼らの人生が少し重なる。

 

大学の時の友人が『地球は自分を中心に動いているとずっと思っていた』と言っていたことを思い出す。

自分が寝ている時間は誰もが活動を中止している、実際はそんなことはないと分かっていても、その感覚が抜けなかったのだそう。

 

ここ数年で動画配信が一般的になってきて、私もたまに観るんだけど、同時視聴者数〇千人とか。私の動画視聴までの過ごし方と、誰かの動画視聴までの過ごし方は一切に重ならないのに、見た目も名前も知らない、存在さえも知らなかった人同士で、ぴたっと人生が重なる瞬間があるんだなあと思うとちょっと不思議な気持ちになる。

外に出れば数えきれないほどの人とすれ違っているのに、〇千人視聴中という数字に「人ってこんなに居るのか」って驚く自分がいる。

 

大学の友人が言っていたことに当時は共感しなかったけれど、多分私も無意識にそう思っていたんじゃないかと。

朝の駅で目印にしている人がいるんですけど、私にとってその人は”目印”でしかなくて。だけどその人にだって朝起きて出勤するという活動時間があるんだってことを当たり前のこととして咄嗟に認識できないというか。

 

24時間というタイムがあって、私の24時間とあなたの24時間は別物だから、合計48時間分の人生があるのに、過ぎた時間は24時間で。そんな意味の分からないことを考えてしまう読書でした。

 

朝は、誰の上にも、適当にやってくる。この地球の上では、夜の終わりの尻尾の先など、誰も捕まえたことがないのだから。

始発の新幹線で出張していく便秘ぎみのサラリーマンの上に、朝はやってくる。コンビニのパートタイムの仕事に自転車で通う、三〇代の主婦の上にも。デパート前のベンチでうっかり眠り込み、夜を明かしてしまった青年の上にさえ。(P15-16)

 

【中古】 かもめの日 / 黒川 創 / 新潮社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】

価格:761円
(2021/12/9 03:00時点)