【妊娠カレンダー】(著:小川洋子)

 

【妊娠カレンダー】(著:小川洋子)を読了。

 

小川洋子作品は何作が読んでいるが、ドロッとした雰囲気だけ伝わってきて難解なものが多い。今作もそのひとつだった。

それもそのはず。裏表紙のあらすじに『芥川賞受賞作』とある。芥川賞とはつまり純文学に贈られる賞。

調べてみると純文学とは“大衆文学・通俗文学に対して、読者に媚こびず純粋な芸術をめざした文学作品”らしいので、面白く思えなくたってそれはそれで正解なのである。

 

【妊娠カレンダー】は妊娠した姉を観察する妹の日記のような体裁をとっている。姉の妊娠期間に妹は胎児に悪いと知りながらグレープフルーツのジャムを姉に振る舞ったりするのだ。

最初、妹が妊娠や赤ちゃんに対して得体の知れない恐怖を感じているからこんなことをするのだろうか、あるいは人が持っている嗜虐性を表現している作品なんだろうか、と思っていた。

 

だけど

「恐れる必要なんて全然ないわ。赤ん坊は赤ん坊よ。とろけるみたいに柔らかくて、指をいつも丸く握って、切なげな声で泣くの。それだけよ」

スプーンに絡みつきながら渦を巻くジャムを見つめ、わたしは言った。

「そんなふうに単純にうるわしくはいかないのよ。わたしの中から出てきたら、それはもう否応無しにわたしの子供になってしまうの。選ぶ自由なんてないのよ。顔半分が赤痣でも、指が全部くっついていても、脳味噌がなくても、シャム双生児でも……」(P69)

 

もしや一人二役ならぬ二人一役。

  • どんなことで赤ちゃんは壊れてしまうんだろうという嗜虐性
  • 健常児じゃなくても自分の子どもになってしまう不安
  • 意外と無事に産まれてくるんじゃないかという期待(楽観)
  • 無関心

 

一見、相反するような感情だけれどもこれって全部、ひとりの妊婦が抱いていたって不思議じゃなくて、そういったそれぞれの感情を強く持つキャラクターを別々に作って動かしてみた作品なのかな、とも思ったりした。

まあ個人の感想だから、正解なんて分からないけれど。

 

「純文学って面白くなくても正解だ」と言ったけれど、作者が文章の中に隠した比喩を「これを示唆しているのかな?」って探ってみるのは結構楽しい。姉妹の話だけれど、実は1人の内面の話なんじゃないかって推測もそう。主人公がバイトのシーンで “おばあさんがポイップを食べる時に見えた真っ赤な舌”もきっと何かを表現しているはずなんだけど、ピンとくるものが見付けられなかった。

 

妊娠カレンダー (文春文庫) [ 小川 洋子 ]

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【雪冤】(著:大門剛明)

 

【雪冤】(著:大門剛明)を読み終わり。

冤罪で死刑囚となり執行が迫る息子を救うために、冤罪の証明に尽力する父親が主人公。

 

冤罪による死刑が大きなテーマとなっていて、読者である私たちに死刑の是非を問う内容になっている。この作品はもちろんフィクションだけれども、イギリスでは死刑執行の後に真犯人が現れる、つまり冤罪による死刑執行が起きてしまい、これまでもこんな悲劇が起こっていたのではないか、これからも起きるのではないか、という考えから死刑廃止になったそうだ。日本でも四半世紀以上の時間が経って再審になる事件もあったりして、他人事じゃないなと思う。

 

遺族が死刑制度を認めたがるのは分かるし、死刑囚の家族が死刑制度の廃止を望むのも分かる。じゃあ当事者じゃない私たちはどうあることが正しいのだろう。この小説では国民のひとりひとりが人(死刑囚)を殺すのだという意識を持つべきだと書かれていた。

 

ねほりんぱほりん』というNHKの番組で死刑執行人が取り上げられていたのを観たことがある。死刑執行は執行官3人で一斉にスイッチを押して床を抜くことで、誰のスイッチがそれだったか分からないようになっているそうだけれども、取材を受けていた中のひとりが「自分が殺したんだという意識がある」と語っていたことを思い出した。

 

よく死刑は報復の連鎖を防ぐために国家が代わって執行するといいますがこれは間違いです。民主主義国家において国家とは国民です。死刑は国民が国民を殺すのです。(P39)

 

こう言われてしまうと死刑制度を推す勇気はない。だけど長期求刑に対しては「税金の無駄遣いだ」という声もあったりして、難しい問題だと思う。

 

死刑になるかどうかほどの行為だと被害者が死んでいるというのも難しさを助長している気がする。例えば被害者が「私が安心して暮らせるように死刑を求刑します」と言えば、それが1番納得感があるからだ。

遺族だって被害者じゃないかという意見もあると思うが、同じ行為なのに被害者の家族の有無で刑の重さが変わるのも変だと個人的には思うから、被害“当事”者に対してどのような犯行や意識を持っていたかというのが刑罰の重さを決める上で重要なんじゃないかと私は思う。

 

『この小説に99%は騙される』とアピールされている事件の真相や真犯人は誰なのか、というミステリー部分には正直それほど魅かれなかったのだけど、登場人物たちを通して様々な立場から死刑制度を見てみる経験というのは考えることが沢山あって、すごく深くて、今まで死刑制度について何にも思ってこなかった事が不思議なくらいだった。

 

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【カフーを待ちわびて】(著:原田マハ)

 

カフーを待ちわびて】(著:原田マハ)を読了。

この小説を読む前に原田マハさんが書いた旅行エッセイを読んでいた。その中で沖縄旅行の際に出会ったラブラドールの名前が「カフー」で、意味を尋ねると「ここらでは“幸せ”という意味だよ」と教えてもらったことがきっかけで【カフーを待ちわびて】という小説ができたのだと綴られていた。

 

小説の舞台は沖縄。作中でも、日常に悩みがある大人が沖縄にフラリとやってきて魅せられてしまうことを『沖縄病』だなんて書いてあったけれど、年々それが分かるようになってきた。多くの華やかなお店で溢れ、楽しむ場所に困らず、給料の高い会社が多く、そんな日本の先頭を歩くような街で暮らして生きたい、という想いは今の私にはもうない。

 

島民で旅行に行った際に、冗談半分で「嫁に来ないか」と書いた絵馬を見て、主人公の明青の元に美女がやってくる。穏やかな場所で、穏やかに気持ちを通じ合わせていっているように見えた2人だったが、島を出て働いている幼馴染が持ってきたリゾート開発の話と絡まって誤解が生じて…。

 

明青をリゾート開発に賛成させるための幼馴染の企みは、結局のところ成功しなかったわけだけれども、どうなんだろう。あんなことを企む段階で、友人ではないし、成功しなかったからセーフだよね、ってものでもない気がする。

物語なのだから起承転結、時に非情な人間が出てくるのは仕方のないことではあるが、沖縄のあののんびりとした雰囲気に浸っていたくて「なんて邪魔なヤツなんだ…」と思ってしまった。

 

それでもそのモヤモヤを上回るほどの優しい気持ちを持てる小説だった。裏表紙に書かれているあらすじ「沖縄の小さな島でくりひろげられる、やさしくて、あたたかくて、ちょっぴりせつない恋の話」というのが本当にぴったりだ。優しい気持ちになれる作品は、読んだ後に「あぁ、読んで良かったなあ」としみじみ心を満たしてくれる。この作品もそんな作品だった。

 

カフー、おそらく『果報』が訛ったところからきている言葉だと思うけれど、なんて可愛くて幸せな響きだろう。カフーアラシミソーリ、幸せでありますように、も可愛い響きだ。

 

終盤も終盤に出てくる『カフーが待ってる』という言葉。ペットのカフーと『幸せ』の2つ意味が込められていて、あまりにも愛おしくてズルイとさえ思った。

将来ペットを飼ったら何て名付けようかずっと妄想してきていた。ムギもマルもコテツも可愛い。だけど今の第一候補は断トツで『カフー』となった。

 

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【出会いなおし】(著:森絵都)

 

【出会いなおし】(著:森絵都)を読了。

年を重ねるといういうことは、同じ相手に、何度も出会いなおすということだ。会うたびに知らない顔を見せ、人は立体的になる。(p.38)

 

久しぶりに会った友人に『あいつは変わっちまった』と呟くシーンはドラマでも現実世界でも起こる。でもそれはこの本によると、人が変わってしまったのではなく、その人の違った側面が現れた、ということなのだろう。

 

森絵都さんの有名な小説に『カラフル』というものがある。自死を選んだ少年が天使だか死神だかによって誰かの体に魂を入れられる。「自分の体(人生)じゃない、好き勝手にしてやる」と過ごす中で日々が楽しくなっていき、最後に魂が入れられた体は他人ではなく自分の体だったと気が付く、そんな物語だ。

 

死ぬ前のうじうじしていた少年と、その後のハツラツと生きる少年。この2つは紛れもなく同じ人間である。

上で言う“知らない顔を見せ、人は立体的になる”というのは、環境や考え方でまるで別人になったように見えるかもしれないが、それは本人が外(他人)に見せる面が変わっただけである、こういうことが言いたいのではないかと思う。

 

自分にとって良くない面が前面に出ているタイミングで相手を好意的に見るのは難しいだろうけど、”出会いなおし”はきっと何回でも出来る。それを楽しみに過ごすのも悪くない。

 

【出会いなおし】は表題作を含む6つの短編小説が収録されているのだけど、その中の【ママ】という小説がちょっと不思議で、だけども本質を突くようなピリッとした言葉もあって、好きだった。

「体がすこしらくになったら、本をお読みなさい。問題の多くは、自分だけの問題にとらわれすぎることから生まれるものよ。ろくでもないことは、いくら考えたって、ろくでもないままだわ。本を読めば読んだだけ、あなたはあなたから解放される」(P.88)

 

瞑想をするとイライラしにくくなると耳にして、1日10分くらいの瞑想を習慣にしているのだけど、確かに今までイライラしていた出来事でイライラが小さくなっている。考えてもどうしようもないことを考えてモヤモヤを増やしてしまう悪習慣を瞑想でブツッと切ってしまうことが出来ているからかな、と思う。

 

読書に関しては、する前とした後で比較ができないから変化が分からないけれど、良い効果が出ているなら、ただ楽しいから読んでいるだけで何かに期待しているわけではないけれど、それは素直に嬉しいことだ。

 

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【天国旅行】(著:三浦しをん)

 

【天国旅行】(著:三浦しをん)を読了。

心中をテーマにした7つの短編集。「心中って…」と思わなくもないけれど、どの作品も割と面白く読んだ。このテーマでよく7つも物語が作れるなあと感心する。

 

『心中』と聞いてイメージすることが描かれているのが『君は夜』という名前の付いた章だった。どうしてだろう、私には『心中』と言うと花魁や武士がいた頃の時代を想像してしまう。面白いのが、単純にそんな時代背景の物語ではなく、主人公の女性が愛する人と心中をした前世を持ちながら現代を生きている、というところ。この前世ゆえに現世で悪い方へ振り回されて行くのが何とも悲しく後味が悪くもあるのだけど。

 

一番好きだったのは、一家心中で生き残ってしまった男性が主人公の『SINK』。一家心中で自分だけ生き残ってしまった罪悪感を抱えていた主人公が、ある人の言葉で心中のあの瞬間を都合よく解釈してみたシーンが好きだ。

上で語った『君が夜』は現実が汚く描かれているのに対して、『SINK』では「現実もそれほど悪くないな」という感情に落ち着いていく結末で、何とも対比が効いている。

人生っていうのはみんなが思っているほど綺麗なモノでもないし、言われるほど汚く悪いモノでもない、といった感じだろうか。

 

死恐怖症といって世の中には『死』が怖い人がいるらしい。「孤独死はツライ」なんて言葉も漏れ聞こえてくる。

「死ぬときに寂しい人生にならないように」なんて言う人がいるが、私は「あ、今死んだな」「10秒後に死ぬな」って本人は気付きようが無いのだから、『死』に関してはそれまでの過程よりもその瞬間の方が大事なんじゃないかと思っていたりする。

 

蛭子能収がエッセイの中で「万馬券が当たって、よろこびの中ショック死したい」みたいな事を書いていたのだけど私も同意する。それまでは孤独だったとしても、死ぬ瞬間に楽しかったな、今日は良い日だったな、なんて思えていたらそれは“幸せな死“じゃないかと思う。逆にそれまでの人生、どれだけ人に囲まれて満たされて生きていたとしても、強盗に入られて腕を折られて恐怖の中死んでしまったら…。同じ理由で死に際に心が苦しさや恐怖で支配されるだろう火事も嫌だ。

 

それら以外では、楽しいことを考えてさえいれば悲しみでいっぱいの中で死ぬということは無いんだなあと思うから、私は『死』がそれほど怖くないのかもしれない。

 

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【きのうの神さま】(著:西川美和)

 

【きのうの神さま】(著:西川美和)を読了。

 

著者本人によるあとがきを読んで知ったのだけど、10何年前に『ディア・ドクター』という映画があって、そのために取材やら勉強やらをして『ディア・ドクター』の中で出し切れなかった(採用できなかった)真実を小説にしたものがこの本には詰まっている、らしい。

 

そう言われても肝心の『ディア・ドクター』を知らないんだけど、笑福亭鶴瓶が白衣を着ている映像作品のCMは何となく記憶にある。それが本当に『ディア・ドクター』かは分からないけれど。

 

『ディア・ドクター』は医者がいない山間部の村で、1人の男が医者と偽って生活をしていた、という物語だ。

これは作者兼監督である西川美和さんが、ご病気をされ、お医者さんはプロフェッショナルなのだからベルトコンベアーに乗る気持ちで治療を受けていれば大丈夫だと頭では理解しつつも、待合室で二時間待った末の三分診療では不安を埋められなかった、その経験から着想を受けておられる、と思われる。

 

検査の結果が大丈夫だと示していても、お医者さんが向き合ってくれていないと思うと不安がなくなってくれない。私たちが求めているのは本当に『医』なのか?『愛』なんじゃないか?と聞かれると少しハッとしませんか。

 

【きのうの神さま】に収録されている短編の1つである【満月の代弁者】。この主人公である村唯一の医者は、今日で村を出て行く。

「ちゃんと看取りたいと思っているけれど、いつまで介護が続くんだろう」と高齢の祖母の面倒を見ている孫娘にこんな言葉をのこしていく。

「言ってみれば、そのある日(命を落とす日)が今晩だって、僕は少しも驚かない」

(中略)

「今さら命が尊いだなんて僕は言わないですよ。だけどとにかく楽に死ぬことよりさきに、楽に生きることです。あなたも、サキヨさんも。少し逃げたり、人の力に頼ったりすることを考えてもいいんだ。」(P190-191)

 

終わりの見えない介護に疲れる人に少し盛って言ったこの言葉、医者としては×だけど、彼女の心を少し救ったように私には思える。

 

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【カルテット!】(著:鬼塚忠)

 

カルテット!】(著:鬼塚忠)を読了。

同じ名前のドラマがあったけれども別物。そちらは『カルテット』でこっちは『カルテット!』。

 

崩壊寸前の家族が音楽で再生をする物語。バイオリニストとして将来を有望視されている中学生のボク、かつてフルートを習っていたが最近は素行不良の姉、ピアニストを目指していた過去もある失業中の父、イライラしているチェロ経験アリの母。

 

最初は祖母の誕生日に演奏をすることをゴールに始まった家族再生をかけたカルテット。まあこれは内輪というか、上手くても下手でも形になることに意味があるから良いんだけど、その失敗を経て辿り着いたのが、お客を入れて、2000円のチケット代も払ってもらって、という演奏会は上手く行き過ぎでは…と思う。

それぞれが楽器の演奏経験があったとしても、かなりのブランクのある素人。しかも無名の家族に2000円のお金を払ってくれる人はそう多くないんじゃないかな。

 

それと同じような疑問で、日給2万円でレストランで演奏する仕事を貰えるのも「えぇっ!」という感想を抱く。下手くそなフルートを奏でるヘソ出しカジュアルファッションのJKが大歓迎されちゃう展開も個人的にはビックリした。

演奏家のいるレストランって雰囲気があって少し高価で、というイメージを持っているんだけど、それは私の経験が少なすぎるんだろうか。

 

「あっ面白くなりそう」と思ったらその先の展開がイマイチでその気持ちが萎んで、「あっキタキタ」と思ったらやっぱりイマイチで、という繰り返し。家族でカルテットなんてすごく面白くなりそうな題材なのに。

 

親が主人公に対しては演奏を一緒にしただけで何か悩んでいることに気が付くくせに、姉に対しては姉が泣くまで気が付かないっていうのも、せっかく一緒に演奏しているという絶好の攻めポイントがあるというのに何て上手くない話の作り方なんだろうと思う。

 

演奏を通じて「努力しているんだな」っていうのが感じ合えたり、「悩んでいるのかな」っていうのを家族が感じ取ったりして、それで家族が再生していく展開を期待していたんだけど。それこそ曲の解釈を語らって知らなかった互いを知る、なんて展開も作れたじゃん。

 

音楽の関係のないところで問題が起こって、音楽の関係のないことで解決していくから、勿体ないなあという印象が残る。

 

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