『まずいスープ』を読了。作者は”戌井昭人”初めて手に取る作家だ。
文庫本の後ろにあるあらすじ
父が消えた。アメ横で買った魚で作ったまずいスープを残し、サウナに行くと言ったきり忽然と。
が何だか大きな事件が起きそうな作品だ、と思って読んで見たものの、大きな山もなく谷もなく終わってしまう。
普通の人の生活を隠し撮りしたビデオを見ているような、何者でもない普通の人の『6時に起きて、8時前に家を出る。雨だったから憂鬱だ』みたいな日記を覗いているような。
商業用の小説やエッセイやドラマ、アニメには、読者・視聴者が惹きつけられるようにスパイスが加えられている。ノンフィクションと言えど脚色されている。
しかしながら『まずいスープ』は喜ばせてやろう、悲しませてやろう、ハラハラさせてやろう、意表を突いてやろう、そんな気が全くない文章で、あまりにも淡々としていてちょっと戸惑っている。
本の最後にある解説に『【まずいスープ】は戌井さんのデビュー作だ』とあり大層驚いた。
もし自分が小説を書くことになったら、自分の経験や妄想を総動員してドラマチックで意味ありげな作品にしてしまうと思う。誇示せず卑下せず淡々と…そんな文章は書けないと思う。
『平凡を演じられる非凡な俳優』と言われる加瀬亮が思わず頭に浮かんだ。
画像引用:久々の山田節 「ありふれた奇跡」 -
平凡なことをそのまま平凡に(見えるように)書くなんて、どれほどスゴイことだろうか。
この文庫本には【まずいスープ】だけでなく【どんぶり】【鮒のためいき】という短編も収録されている。
目で読んでいた時に正直あまりにも退屈だったので、【鮒のためいき】は声に出して、人物によって声色を変えて朗読してみた。するとすごくスムーズで、リアルな光景がどんどん浮かんでくる。
読み終わった後に、作中の出来事がまるで私の人生で起こったように感じられてくるから不思議だ。本当、特筆すべき表現などないのに妙にリアルで生々しい文章だと思う。
競輪場は入場料五十円を払った特典なのかどうか知らないが、無料給水機がある。その給水機の横に紙コップが出てくる機械があって、ボタンを押すと紙コップが「コポン」と音を立てて落ちてくる。この「コポン」を聞くたびに、「俺、なにやってんだろう」と毎度ながら思ってしまう。(P122)
自己嫌悪がわいてくるのが競馬場に入った瞬間でも、入場料を払った瞬間でもなく、紙コップが落ちてくる音ってちょっと分かる気がする。
私もパチンコにハマっていた時「なにやってんだろう」って思ったのは、パチンコ店に足を踏み入れた瞬間でもお金を入れる瞬間でもなく、当たって出てくる玉を眺めていた時だった。
人となりを描くシチュエーションのチョイスが絶妙だと思った。
だって、競馬場に来て自己嫌悪を感じているこの様子だけで、競馬場に通い慣れたどうしようもない人物がちゃんと思い浮かぶ。
まずいスープ、他2編をどんな作品か?と聞かれるとハッキリこれ!と言える感想が浮かばず、すごく困ってしまう。
ドラマチックでも自慢ができるでもない、何でもないリアルで溢れた世界。現実とフィクションの境目を随分と滲ませる、何とも不思議な気分になる小説だ。
価格:506円 |