【バンクーバーの朝日】日本沈没、日本を脱出した日本人のパターンその1

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バンクーバーの朝日』(著:西山繭子)を読了。

 

「海の向こうのカナダで三年働けば、日本で一生楽に暮らせる」。見果てぬ夢・国家・戦争・差別に翻弄された悲劇の日系移民の物語。

 

面白かったのが、移民1世ではなく彼ら彼女らの子どもである2世が主人公の物語だったこと。

移民1世たちの中には、理不尽な扱いをされて移民先の国民を敵視していたり、その国の言葉を覚える気がなかったり、向こうが不快に思う日本の風習がやめられなかったり、「我々は日本人だ」ということを強く誇っている人が多い。

 

だけど2世たちはカナダ人の友達がいたり、彼らと同じ教育を受けたり、母国語も日本語じゃない。その国民には親しみを持っているし、自分たちはカナダで生まれカナダで育っているという認識もあるのだけど、就職や進学などの人生の重要な局面では日本人(移民)としてぞんざいに扱われるという、複雑な立場にある。

 

『移民は最低賃金以下で働かせても良い』なんて条例が作られたり、大学推薦は自国民を優先するため2世は貰えなかったり。

先日【日本沈没】の感想を綴った時にも「日本から出てもその先は明るくないと思う」と書いたのだけど、そうだよなあ、こういう扱いされちゃうよなあ、とその答え合わせができてしまった感じ。

honnosukima.hatenablog.com

 

物語の中で彼らの環境が良くなる時が訪れる。それは移民の2世たちで組んでいた弱小野球チームが、常にフェアプレーを貫きながら、徐々に試合で勝てるようになっていったからだ。そのプレー姿がカナダ人にも認められるようになっていったのである。

 

そうして関係が良くなっていく兆しが見え始めたある日、日本がカナダの友好国であるアメリカに攻撃をしかけたこと(真珠湾攻撃)で、バンクーバーに住む日本人たちの存在は疎ましく、排除すべき存在に再びなってしまう。

 

”国籍”というもので、どこまで背負わされるべきなんだろうか、と考える。

私は自分のことをそれほど強い愛国心を持っている人間ではないと思っているけれど、それでも日本人が海外で表彰されたと耳にすると誇らしい気持ちになるし、海外で馬鹿なことをしたニュースが伝わると恥ずかしい気持ちになる。”国”ではなく”人”で判断すべきだと頭では分かるが、とても難しい問題だと思った。

 

この小説は、スポーツで通じ合っていく様とか、絶望の中でスポーツが希望になる様子とか、不遇な環境でも希望を失わなかった人たちが読みどころなはず。だけど、先日【日本沈没】を読んだばかりだからか、随分そっちに引っ張られた感想になってしまいました。時代背景も近いですし。

別の小説のサイドストーリーとして読む変わり者なんて、私ぐらいかもしれませんね。

 

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